糸洲安恒
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/16 20:57 UTC 版)
糸洲 安恒(いとす あんこう[1]、1831年 - 1915年3月11日)は、沖縄県の唐手(からて、現・空手)家。琉球王国時代から明治にかけて活躍した唐手の大家であり、唐手の「近代化」に着手した最初の人物としても知られる。
- ^ 「やすつね」と訓読みでふりがなを振る書籍が一部にあるが、琉球士族の名乗(なぬい・和名)は音読みが原則である。
- ^ a b c d 「拳法大家逝く」琉球新報1915年(大正4年)3月13日記事。
- ^ 『氏集』には「糸洌(いとす)筑登之親雲上」とある。
- ^ 本部朝基「稽古の心得(松村・長濱・糸洲翁の話)」『私の唐手術』21頁参照。
- ^ 糸洲門下には諸説があるが、最も信頼性の高いのは知花朝信の証言である。それによれば、糸洲の弟子は、本部朝勇、屋部憲通、花城長茂、本部朝基、喜屋武朝徳、山川朝棟、屋比久孟伝、喜納朝献、知念ンター、摩文仁賢和、城間真繁、徳田安文の12名に、知花を加えた全13名である(『沖縄タイムス』1957年9月24日記事)。
- ^ 「鋼鉄の如き拳 老練熟達の名人」(『琉球新報』1915年(大正4年)3月14日記事)。
- ^ 本部朝基『私の唐手術』の「稽古の心得(松村・長浜・糸洲翁の話)」参照。
- 糸洲安恒のページへのリンク