稲垣道夫とは? わかりやすく解説

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稲垣道夫

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/31 23:00 UTC 版)

稲垣 道夫'(いながき みちお、194*年*月*日 - )は、愛知県出身のソフトテニス選手。1979年第三回世界ソフトテニス選手権ダブルス優勝。

来歴・人物

安城高校-日本体育大学。プレースタイルは前衛、そのスピードとパワーからエイトマンの愛称がある、井伊勝利とのペアで一時代を築き、ライバル木口利充横江忠志と数々の名勝負を演じた、サウスポー。

国際大会代表歴[1]

第8回亜細亜軟式庭球選手権(1971)
個人戦2回戦敗退(山口・稲垣) 団体優勝
第9回亜細亜軟式庭球選手権(1973)
個人戦2回戦敗退(篠野・稲垣) 団体優勝
第1回世界ソフトテニス選手権(1975)
個人戦準優勝(井伊・稲垣) 団体優勝
第2回世界ソフトテニス選手権(1977)
個人戦準優勝(井伊・稲垣) 団体優勝
第3回世界ソフトテニス選手権(1979)
個人戦優勝(井伊・稲垣) 団体優勝
第4回世界ソフトテニス選手権(1981)
個人戦優勝(園田・稲垣) 団体優勝
第6回世界ソフトテニス選手権(1985)
団体三位

関連項目

脚注

  1. ^ 参考 日本ソフトテニス連盟機關誌 及びベースボールマガジン社発行 月刊『軟式テニス』(現ソフトテニスマガジン)



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