留岡清男とは? わかりやすく解説

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留岡清男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/01 04:47 UTC 版)

留岡 清男(とめおか きよお、1898年9月16日 - 1977年2月3日)は、日本教育者教育学者。専攻は価値心理学、教育科学・生活教育論[1]


注釈

  1. ^ 城戸幡太郎教授らとともに八王子の恩方村の季節保育所へ行き、実習のような形で学生をつれていって協力させるなどの指導を行った。城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会 1978年 pp.42-43
  2. ^ 講座『教育科学』では、「感化事業」、「農村教育運動」の二篇を、附録雑誌『教育』では「本邦に於ける農村教育運動」を執筆。父幸助の後を継いでいた教護事業については、ただ反社会的な行為で見放された少年たちを社会へ復帰させる矯正教育に留まらず、そのような少年たちを出さない社会をつくることまでもが教護の持つ意味であり、そこに家庭や学校を含めた広義の「社会教育」があることを主張した。城戸は、先の「社会教育」が、社会で協同に生活する人々を幸せにすることを目的とすること、また、その生活を豊かにする生産と消費の方法を科学技術的に研究しその成果を協同生活に反映させる方法を必要とすること、に留岡の提起する生活教育の原理があると考えた。城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会 1978年 pp.66-67
  3. ^ この雑誌はのちに1937年の教育科学研究会発足以降は、1944年3月まで同研究会の準機関誌の役割を果たした。
  4. ^ 代表者には城戸が就任。城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会 1978年 p.273
  5. ^ 保育問題研究会は、調査の結果から、幼稚園と保育所の保育一元化とその義務制を主張し、教育科学研究会は、教育の「生活主義と科学主義」を標榜して教育運動を展開するようになった。生活主義とは、教育は国民の生活権を保障することによって、国民生活の安定と慶福を願うことであり、科学主義は、その目的を達するための科学的方法を研究することであった。城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会 1978年 p.80
  6. ^ 「酪聯と酪農義塾——北海道教育巡礼記——」問題は綴方による生活指導を強調する論者が、一体、生活指導を実際どんなふうに実施しているか、そしてどんな効果をあげているか、ということが問われるのである。強調論者の実施の方法をきいてみると、児童に実際の生活の記録を書かせ、偽らざる生活の感想を綴らせる、すると、なかなか佳い作品ができる、これを読んできかせると、生徒同志がまた感銘をうける、というのである。そしてそれだけなのである。私はいずれその位のことだろうと予想していたから別に驚きもしなかったが、そんな生活主義の教育は、教育社会でこそ通ずるかも知れないが、おそらく教育社会以外のいかなる社会においても絶対に通ずることはないし、それどころか、かえっていたずらに軽蔑の対象とされるに過ぎないだろう。このような生活主義の綴方教育は、畢竟、綴方教育の鑑賞に始まって感傷に終るに過ぎないという以外に、最早何もいうべきことはないのである。生活主義の教育とは何か、端的にいえば、最小限度を保障されざる生活の事実を照準として思考する思考能力を涵養することである。それによって必然的に、最小限度を保障されざる大衆の生活が発見されるだろう。生活主義の教育は、そこにおいて、科学性と大衆性との基礎を與えられる。『教育 第5巻10号』 岩波書店 1937年
  7. ^ 1940年2月頃から多くの教育科学研究会員が治安維持法違反で検挙されるなどの弾圧が強くなってきた。弾圧を避けてむしろ大政翼賛会の中で教育の生活主義と科学主義を標榜する教育科学運動を実現させるために、加入。城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会 1978年 pp.138-139
  8. ^ 城戸に協力して社会教育に映画を利用することに努力し、1952年11月北海道視聴覚教育研究会を発足させ、のちにフィルム・ライブラリーの設置にまで発展させた。城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会 1978年 p.191

出典

  1. ^ a b 大泉溥編『日本心理学者事典』クレス出版 2003年 p.754
  2. ^ 留岡清男参照
  3. ^ 城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会 1978年 p.42
  4. ^ 城戸幡太郎『教育科学七十年』北大図書刊行会 1978年 p.38
  5. ^ 城戸幡太郎著『教育科学七十年』北大図書刊行会 1978年 p.273
  6. ^ 山田清人『教育科学運動史―1931年から1944年まで』国土社 1968年 p.298
  7. ^ 以上につき『留岡清男年譜』「留岡清男の子ども研究と生活教育論」(日本の子ども研究 : 明治・大正・昭和 第7巻)クレス出版 2009.10 p.639以下
  8. ^ 「留岡清男先生の死を悼んで」『教育 27巻4号』 国土社 1977年4月 p.91以下


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