理豊女王
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理豊女王(りほうじょおう、寛文12年5月26日(1672年6月21日) - 延享2年5月12日(1745年6月11日))は、後西天皇の第十一皇女。母は典侍清閑寺共子。幼名は橿宮、追号は本覚院、法名は徳巌理豊。
- ^ 景愛寺は、中世には尼五山の第1位とされた寺院であるが、明応7年(1498年)の焼失後は再建されず、その名跡は大聖寺と宝鏡寺に相承され、他の尼寺の住持が黒衣のみであったのに対し唯一紫衣の勅許を得た。…(『日本歴史大辞典』小学館、ISBN 4-09-523001-0)
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