理豊女王とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 理豊女王の意味・解説 

理豊女王

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/27 16:04 UTC 版)

理豊女王(りほうじょおう、寛文12年5月26日1672年6月21日) - 延享2年5月12日1745年6月11日))は、後西天皇の第十一皇女。母は典侍清閑寺共子。幼名は橿宮、追号は本覚院、法名は徳巌理豊。


  1. ^ 景愛寺は、中世には尼五山の第1位とされた寺院であるが、明応7年(1498年)の焼失後は再建されず、その名跡は大聖寺と宝鏡寺に相承され、他の尼寺の住持が黒衣のみであったのに対し唯一紫衣の勅許を得た。…(『日本歴史大辞典』小学館、ISBN 4-09-523001-0


「理豊女王」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「理豊女王」の関連用語

理豊女王のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



理豊女王のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの理豊女王 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS