村上義益とは? わかりやすく解説

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村上義益

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/17 07:59 UTC 版)

村上 義益(むらかみ よします)は、戦国時代の武将。能島村上氏の当主。義雅の嫡子。父の早世後、家督を従兄弟の村上武吉と争った。


注釈

  1. ^ 「譜録(村上図書)」には武吉は慶長9年(1604年)8月22日に72歳で死去したとあるので、逆算すると天文2年(1533)の生まれとなる。[2]
  2. ^ 忽那島周辺には,、応永12年(1405年)以前には能島村上氏の勢力が及んでいた。[6]
  3. ^ 武吉を支援した村上隆重は、後に大内義隆から厳島において京堺商人から駄別料を徴収する権益を与えられている[11]
  4. ^ 天文16年(1547年)4月、厳島神主の佐伯景教が、能島にやって来ている[12]。景教は藤原広就を滅ぼした後に大内氏が新たに厳島神主とした人物。

出典

  1. ^ 山内譲 『中世瀬戸内海地域史の研究』 法政大学出版局 1998年 p.127
  2. ^ 山内譲 『瀬戸内の海賊 村上武吉の戦い』 講談社 2005年 p.45
  3. ^ a b c d 山内譲 『中世瀬戸内海地域史の研究』 法政大学出版局 1998年 p.129
  4. ^ 「房顕覚書」(『廿日市町史 資料編 1(古代中世)』 廿日市町 1979年 p.509)
  5. ^ 「白井文書」(『戦国遺文 瀬戸内水軍編』 東京堂出版 2012年 p.20,21)
  6. ^ 山内譲 『中世瀬戸内海地域史の研究』 法政大学出版局 1998年 p.117
  7. ^ 「萩藩譜録 長崎首令高亮」(『戦国遺文 瀬戸内水軍編』 東京堂出版 2012年 p.18)
  8. ^ 「白井文書」(『戦国遺文 瀬戸内水軍編』 東京堂出版 2012年 p.18)
  9. ^ 山内譲 『中世瀬戸内海地域史の研究』 法政大学出版局 1998年 p.129,130
  10. ^ 山内譲 『中世瀬戸内海地域史の研究』 法政大学出版局 1998年 p.130
  11. ^ a b 山内譲 『中世瀬戸内海地域史の研究』 法政大学出版局 1998年 p.131,132
  12. ^ 「大願寺文書」(『戦国遺文 瀬戸内水軍編』 東京堂出版 2012年 p.23)
  13. ^ 「白井文書」(『戦国遺文 瀬戸内水軍編』 東京堂出版 2012年 p.23,25)
  14. ^ 「山野井文書」(『戦国遺文 瀬戸内水軍編』 東京堂出版 2012年 p.23)
  15. ^ 「大内家御判物并奉書写 安富恕兵衛」(和田秀作 「大内氏家臣安富氏の関係史料について(二)」(『山口県文書館研究紀要』28 2001年))
  16. ^ 「村上謙之丞氏所蔵文書」(『愛媛県史資料編 古代中世』 1983年 p.953)
  17. ^ 金谷匡人 『海賊たちの中世』 1998年 p.133


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