日本積善銀行
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日本積善銀行(にほんせきぜんぎんこう)は、1922年(大正11年)に経営者の乱脈経営が原因で破綻した京都の銀行。これが契機になり、多くの銀行で取り付け騒ぎに発展し、休業、破綻が相次いだ。これら一連の流れは「積善銀行事件」[1]と呼ばれ、銀行のリスク管理の教訓となっている。
- ^ a b 大正期日本積善銀行の破綻とリスク管理・ガバナンス不全、滋賀大学-小川
- ^ 『日本全国諸会社役員録. 第23回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 設立大正元年、本店大阪市東区淡路町、資本金50万円『日本全国諸会社役員録. 第24回』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 『京都金融史』
- ^ 『京都金融史』
- ^ 『大阪毎日新聞』1923年4月8日神戸大学図書館新聞記事文庫
- ^ 略歴『人事興信録. 4版』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 為三の関係した会社『帝国銀行会社要録 : 附・職員録. 大正11年(第11版)』(国立国会図書館デジタルコレクション)
- ^ 積善銀行事件の波紋堂島帳簿検査結果『大阪朝日新聞』1922年12月5日、神戸大学図書館新聞記事文庫
- ^ 『京都金融小史』
- ^ 潰れた積善銀行の専務らを訴える大阪時事新報 1932.11.8 (昭和7)
- ^ a b 高倉藤平『人事興信録』第4版 [大正4(1915)年1月]
- ^ 高倉為三は懲役六年に大阪朝日新聞 1925.8.7 (大正14)
- ^ 也阿弥ホテルを再築『回顧七十五年』、京都日出新聞社印刷部、1929年4月
- ^ 八木平兵衛『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
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