徳田要請問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/09 03:13 UTC 版)
徳田要請問題(とくだようせいもんだい)とは、1950年(昭和25年)2月にソビエト連邦のシベリア抑留から帰還した引揚者の一部が、自分たちの帰国が遅れたのは日本共産党書記長であった徳田球一の要請によるものだと主張した事件。3月から4月にかけて衆議院と参議院の各委員会で当事者として証人喚問された菅季治が遺書を残して自殺したことで話題となった。「徳田要請」「徳田要請事件」とも呼ばれている。
注釈
- ^ 久保田は第九分所で反ソ宣伝を行い、菅から批判を受けたという因縁があった[1][2]。
- ^ これに対し、共産党の梨木作次郎が、党の引揚げ妨害は事実無根であり、報告書が「日の丸梯団のごときファシスト分子の当てにならぬ片言隻句を寄せ集めて、要請をいかにも事実らしくでっち上げた」ものであるとして批判する修正案を提出したが、否決された[2]。
- ^ これに対し菅は、共産党に「私は、久保田氏たちのいわゆる証言を『事実を全くつくりかえた』悪質デマと書きもしなかったし、言いもしませんでした。記者の方には『捕虜、とくにあの人たちの心理としては自然な推測だったかも知れない』と語ったのです」とする抗議文を送り、委員会においても「大体あのアカハタの記事は誇張があり、私の言葉を極度に彼らの都合のいいようにやつておると思います[8]」と述べている[2]。
- ^ ロシア語原文では「トクダ・ナデーエツァ」。辞書ではナデーエツァは「希望する、期待する、hope,trust,expect」。考査会の篠田弘作委員が「要請ということはホープ、片方の期待ということはエクスペクト、そういうふうに区別はあるが、この場合ロシヤ語には私は区別はないと思う」と発言したが、ロシア語にはトレポワーティという言葉が別にあって「request,require,claim」という意味があると菅は指摘した[8]。
出典
- ^ a b c d 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第13号 昭和25年2月23日(PDF) - 国会会議録検索システム、2022年2月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g h 富田 2013, pp. 101–112.
- ^ 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第15号 昭和25年3月16日(PDF) - 国会会議録検索システム、2022年2月20日閲覧。
- ^ 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第19号 昭和25年3月27日(PDF) - 国会会議録検索システム、2022年2月20日閲覧。
- ^ 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第28号 昭和25年4月27日(PDF) - 国会会議録検索システム、2022年2月20日閲覧。
- ^ 第7回国会 衆議院 本会議 第45号 昭和25年4月30日(PDF) - 国会会議録検索システム、2022年2月20日閲覧。
- ^ 第7回国会 参議院 在外同胞引揚問題に関する特別委員会 第16号 昭和25年3月18日(PDF) - 国会会議録検索システム、2022年2月20日閲覧。
- ^ a b c 第7回国会 衆議院 考査特別委員会 第19号 昭和25年4月5日(PDF) - 国会会議録検索システム、2022年2月20日閲覧。
- ^ “演劇から、「時代の裂け目」が見えてくる/演出家・蜷川幸雄氏インタビュー”. SYNODOS (2014年7月19日). 2022年2月20日閲覧。
- ^ 鶴見俊輔「非スターリン化をめざして」、『戦時期日本の精神史』収録
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