平井信正
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平井 信正(ひらい のぶまさ、明応元年(1492年)?[1] - 天正13年2月28日(1585年3月29日))は、京都出身の宮内卿・公卿・公家・武将。戒名、梅応院説日円居士。加治田村旧家平井家の始祖[2]。
- ^ 平井家所蔵の系譜によれば、天正13年2月28日に死去したとき、94歳だったという(「平井宮内」『富加町史』 下巻 通史編、岐阜県加茂郡富加町、1980年、182頁。)。
- ^ a b c 「平井宮内」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、181 - 182頁。
- ^ 富加町通史編P181-182
- ^ 和歌集 文之字屋古文書
- ^ 富加町史通史編 182頁
- ^ 「平井家歴史文書」とみかの文化財 38-39頁
- ^ 「長久手戦と加治田平井氏」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、243 - 244頁。
- ^ 「斎藤新五加治田城主となる」『富加町史』 下巻 通史編、富加町、1980年、229頁。
- ^ 「上野洋三氏(九州大学大学院教授)、神作研一氏(金城学院大学教授)が執筆・編集」
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