嶋谷自然とは? わかりやすく解説

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嶋谷自然

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/28 01:54 UTC 版)

嶋谷 自然(しまや しぜん、1904年(明治37年)3月19日 - 1995年(平成7年)8月13日)は、日本画家。本名、嶋谷藤四郎。

三重県志摩郡[1](現・鳥羽市坂手島出身[2]日展参与、名古屋芸術大学名誉教授[2]

生涯

中村左洲に日本画を学び、1922年(大正11年)上京して矢澤弦月の門に入ったあと、西山翠嶂に師事。1930年(昭和5年)第10回帝展で「網小屋」が初入選した。1950年(昭和25年)第6回日展で「緑影」が特選・白寿賞・朝倉賞を受賞(愛知県美術館所蔵)。第7回「丘」も特選、朝倉賞を受賞し脚光をあびる。1979年(昭和54年)「湖心」が部大臣賞を受賞(名古屋市美術館所蔵)。

1970年(昭和45年)名古屋芸術大学教授に就任、退職後同校名誉教授となった。1973年(昭和48年)中日文化賞を受賞する。1993年(平成5年)8月13日呼吸不全のため名古屋市昭和区聖霊病院で死去した[1]。享年89[3]

代表作

海や山を描いた風景画を得意とした[2]

  • 『緑影』第6回日展(特選・白寿賞)1950年、愛知県美術館 - 1947年(昭和22年)から1952年(昭和27年)まで住んでいた愛知県知多郡八幡町(現・知多市)佐布里(そうり)にある加世端池の風景を描いた作品[4]
  • 『丘』第7回日展(特選・朝倉賞・無鑑査)1951年
  • 『砂丘と海』第10回日展(日展会員)1967年、名古屋市美術館
  • 『島嶼』改組第2回日展(評議員・審査員)1970年、三重県立美術館

脚注

  1. ^ a b 嶋谷自然 :: 東文研アーカイブデータベース”. www.tobunken.go.jp. 2020年4月27日閲覧。
  2. ^ a b c 嶋谷自然とは”. コトバンク. 2024年3月28日閲覧。
  3. ^ 鳥羽市観光情報サイト - 知る”. www.tobakanko.jp. 2020年4月27日閲覧。
  4. ^ 知多市歴史民俗博物館 収蔵品展「嶋谷自然展」”. 愛知県の観光サイトAichi Now. Aichi Now運営事務局(株式会社ピコ・ナレッジ内). 2024年3月28日閲覧。


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