山縣農場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/07/18 03:50 UTC 版)
山縣農場(やまがたのうじょう) は、山縣有朋が明治時代に、箒川を挟んで那須野が原に隣接する高原山山麓の栃木県伊佐野(現矢板市伊佐野)に開いた開拓農場[1]。那須野が原およびその周辺に10以上も開かれた華族農場のひとつである[2]。
- ^ 周辺地図
- ^ 藤森照信は那須野が原の大農場を「プランテーション別荘」と呼んでいる(『建物探偵雨天決行』92-107ページ)。
- ^ 『元勲・財閥の邸宅』38-39頁
- ^ 伊佐野は明治維新までは地元の入会地であって、明治になってから官有地に繰り入れられたものの、地元民にとっては依然として落ち葉・草・薪を得る場所であり続けていた。山縣はこの権利を保障し、払い下げについて地元の了解を取り付けた。
- ^ 「山縣農場の成立事情と山縣有朋の理想」『木を育て 森に生きる』86-101頁
- ^ いんなみ じょうさく、1832年 - 1888年
- ^ やいた たけし、1849年 - 1922年
- ^ 山縣有朋記念館・展示品説明
- ^ もり かつぞう、1848年 - 1916年 旧久留里藩士
- ^ 『伊佐野農場圖稿』300ページ
- ^ 栃木県指定文化財一覧(建物)
- ^ 矢板市ホームページ・「山縣有朋記念館別館」が国登録文化財になります
- ^ 山縣有朋記念館別館 - 文化遺産オンライン
- ^ 岩波昭彦ホームページ収蔵作品
- ^ http://www.magame.jp/fumo/jnr400.html 不毛企画 乗り物館(のりものやかた) 1985・夏 国鉄バスネットワークの記録 関東地方自動車局
[続きの解説]
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