山本芳翠とは? わかりやすく解説

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やまもと‐ほうすい〔‐ハウスイ〕【山本芳翠】

読み方:やまもとほうすい

[1850〜1906]洋画家美濃の人。本名、為之助。五姓田(ごせだ)芳学び、のち洋画転じて渡仏帰国して生巧館画塾を開く。明治美術会白馬会創立参加門下藤島武二らがいる。代表作に「臥裸婦」「浦島」など。


山本芳翠

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/15 01:55 UTC 版)

山本 芳翠(やまもと ほうすい、嘉永3年7月5日(1850年8月12日) - 明治39年(1906年11月15日[1])は、明治時代の日本の洋画家版画家である。


  1. ^ a b c 山本芳翠、朝日日本歴史人物事典、朝日新聞出版、コトバンク、2009年11月11日閲覧。
  2. ^ 芳翠本人は「洋画研究経歴談」に於いて、明治元年に横浜に出て、翌年芳柳に入門と語っている。しかし隅元謙次郎「山本芳翠について」(『美術研究』239号、1966年3月)では、芳翠の入門証の日付は「明治5年3月3日」と記載されていることから、入門を5年とし、前年に横浜に出たと推測している。
  3. ^ 高階秀爾 「山本芳翠」(『日本近代美術史論』 講談社〈講談社学芸文庫〉、1990年9月、410-411頁、ISBN 978-4-0615-8941-4)。
  4. ^ 山本礼三郎、日本人名大辞典、講談社コトバンク、2009年11月11日閲覧。
  5. ^ [ID_4796] 月下の裸婦 : 作品情報 _ コレクション検索 _ 愛知県美術館
  6. ^ 「卯」と「辰」は昭和の初めに東京で焼失したとの伝えがあるが、その来歴は不明であるという。これら2面については、芳翠の弟子の北蓮蔵が記憶を頼りに描いたスケッチの写真が残るのみである(高階絵里加「岩崎弥太郎と山本芳翠の≪十二支≫」『三菱が夢見た美術館』(展覧会図録、三菱一号館美術館、2010)所収、による)。
  7. ^ 神戸市立小磯記念美術館編集・発行 『神戸市立博物館所蔵 洋画コレクション』 2018年5月22日、第13図。
  8. ^ 下関市立美術館編集・発行 『下関市立美術館企画展図録 日本絵画・20世紀の草創 日清・日露戦争の時代』 2004年11月11日、第13図。
  9. ^ 神奈川県立歴史博物館編集・発行 『特別展図録 真明解・明治美術/増殖する新(ニュー)メディア』 2018年8月3日、pp.220-221。


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