安城市とは?

辞典・百科事典の検索サービス - Weblio辞書

初めての方へ

参加元一覧


用語解説|基本情報|地図|動画|文献|商品|物件|全文検索|用例

地名辞典

日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社

安城市

読み方:アンジョウシ(anjoushi)

所在 愛知県

地名辞典では2006年8月時点の情報を掲載しています。


ウィキペディア

ウィキペディアウィキペディア

安城市

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2012/02/03 16:57 UTC 版)

あんじょうし
安城市
Flag of Anjo, Aichi.svg
安城市旗
Anjo Aichi chapter.svg
安城市章
日本の旗 日本
地方 中部地方東海地方
都道府県 愛知県
団体コード 23212-2
面積 86.01km²
総人口 179,891
推計人口、2011年12月1日)
人口密度 2,090人/km²
隣接自治体 岡崎市碧南市刈谷市豊田市
西尾市知立市高浜市
市の木 クロマツ
市の花 サルビア
安城市役所
所在地 〒446-8501
愛知県安城市桜町18番23号
安城市役所
外部リンク 安城市

安城市位置図(愛知県)

― 政令指定都市 / ― 市 / ― 町 / ― 村
 表示ノート編集履歴 ウィキプロジェクト

安城市(あんじょうし)は、愛知県西三河地方の

目次

概要

愛知県のほぼ中央に位置する内陸部の都市で、愛知県では8番目の人口を有する。1906年碧海郡安城村と周辺8村で町制を施行、1952年に愛知県で13番目に市制を施行した。毎年夏に開かれる安城七夕まつりで知られる。

明治時代明治用水の開通により大規模な開墾が行われ、農業の先進的な取り組みが行われたことから、1920年代から1930年代にかけて、農業先進国のデンマークに譬えて「日本デンマーク」と呼ばれた(現在では「日本のデンマーク」と書いている文書も多くあるが、当時はこの呼称が用いられた)。現在は、自動車工業を中心とする機械工業が盛んである。

市名は、ニュースなどでは「んじょう」と呼んでいるが、地元では「あんじょう」と「じょ」にアクセントをおいて呼んでいる。

地理

名古屋市の南東約30kmに位置し、南北に14.7km、東西に10.0kmの市域を有する。

岡崎平野の中央、矢作川の西岸に位置し、市域の大半を旧藤岡町から三河湾へと続く洪積台地がなだらかな傾斜を描いて縦断している。一方、市南東部は矢作川や矢作古川によって形成された沖積平野が広がっている。そのため、市内の最高標点が27.7m、最低標点が0.5mと高低差は極めて小さい。

河川は猿渡川、高浜川、矢作川の水系から成る。市内には、一級河川が3、二級河川が9、準用河川が29河川ある。市の東には西鹿乗川が流れ、市南東部で鹿乗川と合流する。また、市の各所には明治時代に開削された明治用水の4本の幹線・支線が流れ、それぞれ刈谷市知立市西尾市などの近隣都市まで続く。市南西部の碧南市との市境には汽水湖油ヶ淵があり、長田川や稗田川、朝鮮川などが流れ込む。

市街地安城駅を中心とする市北部に形成されており、それ以外の地域には集落が点在している。交通は、国道1号国道23号といった幹線道路が東西を横断し、東海道新幹線東海道本線名鉄名古屋本線という県内の東西を結ぶ鉄道路線も通る。

土地利用では、2009年の統計によると、面積86.01km²のうち、が32.33km²と市全体の約40%弱を占め、は6.30km²で約8%になり、市域の半分弱が田畑に利用されていることになる。しかし、近年は宅地の造成が進んでおり、田畑の減少に代わって宅地の土地利用が増えている。宅地面積は22.75km²で26%を超えている[1]

気候

1976年から2004年までの30年間での1年の平均気温は16.0℃で、最高気温は36.9℃、最低気温は-3.9℃程度を記録し、県内の他市に比べて、夏は暑く、冬は冷え込む内地性の気候である。また、年間平均降水量は1,283mmである。

1922年以降に市内で記録された最高気温は40.0℃(1995年8月5日)、最低気温は-10.5℃(1989年12月28日)で、1日あたりの最大降水量の記録は364.5mm(1971年8月30日)である[1]

歴史

概要

原始・古代

二子古墳

現在の市域に陸地ができたのは、東部の沖積平野完新世、中西部の台地は更新世最後に海面低下と台地の相対的な上昇が起きたことによる[2]。古代の市域南部は、現在の油ヶ淵から桜井町付近まで深く海が入り込んでいた。このことは、堀内貝塚や東端貝塚の存在から確認することができる。また、矢作川矢作古川が本筋であり、西尾市とは陸続きになっていた。

現在の市域で、初めて人の行動が確認できるのは晩期旧石器時代で、市内15か所の遺跡から30点の有舌尖頭器が出土しているが、定住地というよりは狩猟の場となっていたと考えられている[3]。晩期縄文時代の遺跡では、堀内貝塚や東端貝塚が確認されている。

弥生時代中期中葉頃から、豊田市の川原遺跡や西尾市の岡島遺跡など、矢作川流域に大規模な集落が見られるようになる[4]。市内で集中的に遺跡が確認されているのは市域東部の沖積平野で、全長2.5km、幅0.75kmの鹿乗川流域遺跡群と呼ばれる弥生時代後期から古墳時代前期にかけての遺跡群がある[5]。また古墳時代には、市南東部に二子古墳や姫小川古墳などの大規模な古墳も建造され、それらを含めた19基の古墳が2.4kmの範囲に集中する桜井古墳群がある[6]

律令制が敷かれると、市域は三河国碧海郡となった。『和名類聚抄』には、碧海郡内には15、16のがあったと記述されているが、そのうち桜井郷(桜井町)、小河郷(小川町)、大岡郷(大岡町)が、現在も地名として残っているため市内と比定されている[7]。このほか、和志取郷なども市内と推定されている。また、別郷廃寺・寺領廃寺といった古代寺院の跡地も確認できる[8]

中近世

安祥城址

11世紀には、寄進地系荘園の志貴荘や碧海荘が誕生した。志貴荘は藤原氏平氏などによって支配され、市域のほとんどと碧南市高浜市岡崎市の一部を領地としていた[9]。一方、碧海荘は豊田市南部から岡崎市西部・南部にかけて支配下に置き、一部が安城市域にかかっていたとみられている[10]

13世紀後半の鎌倉時代には、浄土真宗が伝えられた[11]矢作川流域には、円善の嫡子や弟子による和田門徒と呼ばれる集団が形成され、各地に道場を創設した[12]戦国時代には、蓮如の布教により本願寺派に改宗する寺院が急増し、信徒を増やした[13]

室町時代中期の1440年には、安祥城畠山一族の和田親平によって築城されたが、1471年松平信光が攻め取り、三男・親忠を置いた。親忠と長親信忠の安祥松平家(徳川本家)3代に渡る経営により、加茂郡南部・額田郡・碧海郡・幡豆郡北部を支配権とする体制を確立した。安祥松平家時代の家臣は、安祥譜代と呼ばれ徳川最古参の家臣とされている。また、長親の子は福釜桜井藤井といった市域の村々を領した。この頃、松平親忠に臣従した玄海、大行日吉法印によって三河万歳が創作・伝承されている。1524年には清康は、安祥城から山中城そして岡崎城へ居城を移す[14]。安祥城は、1540年今川松平連合軍と織田氏との争奪戦(安祥合戦)が繰り広げられた結果、織田氏の手に落城し、織田氏の三河進出の前線根拠地となったが、1549年に再び今川・松平によって奪取されている。そして、織田氏と徳川氏の間で清洲同盟が結ばれた後の1562年に廃城となったとされる。

本證寺

1563年には、三河における浄土真宗3か寺のひとつだった本證寺三河一向一揆の拠点となり徳川家康と戦い、家康を苦しめた。

江戸時代には、主に市域の東部は岡崎藩領、西部に刈谷藩領となった。残りは、旗本御家人の知行地で、寺社領も一部あった。しかし、江戸時代を通して同じ領主に支配され続けた村はほとんどなく、領主の変動は激しかった。市域の村は東部の沖積平野に3分の2が集中し、台地上の村々は集落間の距離が長かった[15]。また、1575年今川家の家臣によって東海道と大浜街道の交点には大浜茶屋が設けられた[16]

碧海台地上には溜池が多く作られ、各地で新田開発が進んだ。1605年には矢作新川(現在の矢作川)の開削が行われて油ヶ淵が造成され、1666年に伏見屋新田が開発された[17]17世紀後半から18世紀にかけては綿作が発展した[18]

18世紀後半になると、寛政一揆の影響で、市域西部の8村が一部を除き刈谷藩から福島藩に領地替えされ、重原陣屋により支配された。18世紀末になると、東海道の人馬の往来が盛んになり、池鯉鮒宿岡崎宿助郷を担当している村々の負担が厳しくなった[19]

19世紀には、和泉村の豪農・都築弥厚によって、安城が原に矢作川から用水路を引いて土地を開墾する計画が立てられ幕府の許可を得て測量まで着手されたが、村々・領主の反対や都築の病死により頓挫した[20]。同時期には、鹿乗川延長工事が竣工した。また、五箇野ヶ原の一部が検地されて石井新田が開発された。

近代

1869年版籍奉還により、重原藩静岡藩が成立した。廃藩置県を経て1871年額田県が成立し、市域の村々が初めて同じ支配下に入った。

明治時代に入ると、石井新田の岡本兵松が都築弥厚の計画を再び実現に向けて動き出した。一方で、阿弥陀堂村(現在の豊田市)の伊豫田與八郎が、現在の豊田市南部の低湿地の水害対策として矢作川から衣浦へ至る排水計画を練っていた。それぞれの計画は、愛知県の誕生した後の1875年に一本化。1878年1月には建設が着手され、4月に一部開通した。用水路は1881年明治用水と命名された。明治用水は1885年までに280kmが開削され、それまで生産性の低かった碧海台地が大きく開墾されることとなった[21]

また、1889年には東海道本線岡崎駅刈谷駅の中間に位置した安城村内に安城駅が誘致され、駅前集落が形成された[22]。安城駅は、近隣の箕輪村や榎前村などと道路で結ばれ、それまで結びつきの弱かった村とのつながりが生まれた[23]1901年、愛知県立農林学校(現・愛知県立安城農林高等学校)を誘致した。1906年には安城村と周辺8村を合併して町制が施行され、碧海郡で人口最大の都市となった。このことから、知立町から1910年に警察署、1914年に郡役所が移転し、郡の行政中心地としての機能を持つようになる[24]。また、1923年に愛知電気鉄道(現・名鉄名古屋本線)が開通し、今村駅(現・新安城駅)が開業。1926年には、碧海電気鉄道(現・名鉄西尾線)が開通した。1934年都市計画法が小都市にも適用されることとなり、安城町全域が適用範囲となった。

安城町には農林学校の他にも、多くの農業指導機関が移転・設置され、農業の多角化・共同化が実施されたことから、日本の農業先進地域として1920年代から1930年代にかけて「日本デンマーク」と呼ばれた。また、1910年頃より製糸工場が次々と建てられたことから、製糸業が発展したが、製糸業の衰退とともに工場も廃業していった。替わって1930年代に紡績業が隆盛したが、1940年代に紡績工場は軍需工場へと転換していった。

1943年には明治村(現在の市南西部)に海軍の明治航空基地が設置された。また、矢作町(現在の市北東部)から上郷村(現在の豊田市南部)にかけては岡崎航空基地が設置された。太平洋戦争中の1944年には東南海地震が、1945年には三河地震が発生し、桜井町や明治村では大きな被害を出した[25]。また、戦争末期には岡崎と明治の航空基地の中間地点に安城が位置していたことから、たびたび銃撃や焼夷弾を落とされることはあったものの、被害はほとんどなく、大都市からの疎開児童数は安城町内で515人に達した[26]。戦災を逃れて工場を移転する企業もあった。

現代

戦後は、戦災被害のなかった安城町には工場が移転してきたが、軍需工場の閉鎖などにより不況が訪れた。そこで安城町は復興のために、1951年名古屋大学農学部、倉敷紡績を誘致した。名古屋大学は1966年に名古屋市に移転している。

1952年には人口が3万5千人に達し、市制を施行した。その後、「昭和の大合併」により、1955年明治村依佐美村の一部を、1960年に岡崎市の一部を編入合併し、同年5月5日に市章を制定した[27]。しかし、合併した村の赤字を引き継いだことや、合併した地域のインフラを安城市と同等にまで引き揚げようとした結果、1960年に地方財政再建促進特別措置法の適用を受け、財政再建団体となった。安城市は4ヶ年計画を提出したが、同年に施行された工場誘致条例による工場増加などで市民税固定資産税が大幅に増加し、1962年に計画より2年早く財政再建を果たした[28]1967年には桜井町を合併し、現在の市域が確定している。

工場誘致条例で多数の工場が誘致されたことにより、安城市は工業都市として発展していくこととなる。また、都市化の流れを受けて、農村人口が減少する一方で、都市人口が増加するようになった。農地も次々と潰され、市営住宅や市内企業の社宅などが建てられた。都市化は国道1号名鉄名古屋本線東海道本線が通る市北部で急速に進み、人口増加は「北高南低」だった[29]。人口は増加の一途を辿り、1972年に10万人を突破した。

1969年都市計画法の改正を受け、安城市でも安城駅周辺から今村(市北部)、二本木(市西部)に至る範囲を市街化区域とし、根崎、東端(市南西部)を工業用市街化区域とした[30]。これを受けて、市は1971年安城駅前の駅前改造事業を行い駅前を整備、1988年には市西部に東海道新幹線三河安城駅が開業した。市では、安城駅前を中心市街地とし、三河安城駅を広域拠点、新安城駅桜井駅周辺を地域拠点として土地区画整理事業を進めるなどの開発を進めている。

市名の由来

地名は安祥→安静→安詳→安城(読みはいずれも「あんじょう」)と変わったという[31]存覚の『袖日記』によれば、1255年に朝円が親鸞の肖像画を書き、「参河国安城照空房」が所蔵していた。これが「安静御影(安城御影)」と呼ばれることから、既に鎌倉時代初頭には安静(安城・安祥)と呼ばれていたことが分かる。

地名の由来は定かになっていないが、一説には京都の安祥寺荘園があったからと言われている[32]

市域の変遷




  1. ^ a b c 安城市ホームページ - 安城の統計
  2. ^ 『安城市史』 20頁
  3. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 11頁
  4. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 50頁
  5. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 63頁
  6. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 94頁
  7. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 185頁
  8. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 227頁
  9. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 296頁
  10. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 301頁
  11. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 378頁
  12. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 388頁
  13. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 472頁
  14. ^ 『新編安城市史1 原始・古代・中世』 553頁。但し、「徳川実紀」(内藤耻叟 校訂 『徳川実紀』 徳川実紀出版事務所、1896年、〔第1冊〕第一巻、10 - 11頁)では、松平清康が岡崎城を受け取った後も安祥を本拠にしていたとする記述がある。
  15. ^ 『安城市史』 390頁
  16. ^ 『安城の地名』 272頁
  17. ^ 『新編安城市史3 近代』 400頁
  18. ^ 『新編安城市史3 近代』 522頁
  19. ^ 『安城市史』 577頁
  20. ^ 『安城市史』 616頁
  21. ^ 『明治用水通水120年記念誌』 15頁
  22. ^ 『新編安城市史3 近世』 310頁
  23. ^ 『新編安城市史3 近代』 129頁
  24. ^ 『新編安城市史3 近代』 294頁
  25. ^ 『新編安城市史4 近代』 676頁
  26. ^ 『安城市史』 1054頁
  27. ^ 『図典 日本の市町村章』 134頁
  28. ^ 『安城市史』 1148頁
  29. ^ 『安城市史』 1164頁
  30. ^ 『新編安城市史4 現代』 345頁
  31. ^ 『安城の地名』 258頁
  32. ^ 『安城の地名』 259頁
  33. ^ a b 『新編安城市史4 現代』 4頁
  34. ^ 安城市ホームページ - 財政公表・財政の概要
  35. ^ 『広報あんじょう』2011年12月1日号 - 財政公表
  36. ^ 「第7次安城市総合計画」 220頁
  37. ^ 東海農政局ホームページ - 平成19年度 農林水産統計
  38. ^ 『明治用水通水120年記念誌』 14頁
  39. ^ 『新編安城市史3 近代』 48頁
  40. ^ 『安城市史』 931頁
  41. ^ 『安城市史』 936頁
  42. ^ 『安城市史』 936頁
  43. ^ 『安城市史』 956頁
  44. ^ 『新編安城市史3 近代』 522頁
  45. ^ 『新編安城市史3 近代』 518頁
  46. ^ 『新編安城市史3 近代』 597頁
  47. ^ 『新編安城市史3 近代』 608頁
  48. ^ 『新編安城市史3 近代』 616頁
  49. ^ 『安城市史』 1078頁
  50. ^ 安城市ホームページ - 安城市の農業の現状
  51. ^ 『安城市史』 884頁
  52. ^ 『安城市史』 886頁
  53. ^ 『新編安城市史3 近代』 211頁
  54. ^ 『安城市史』 1043頁
  55. ^ 『新編安城市史3 近代』 591頁
  56. ^ 『新編安城市史3 近代』 656頁
  57. ^ 『安城市史』 1043頁
  58. ^ 『安城市史』 1153頁
  59. ^ 『新編安城市史4 現代』 309頁
  60. ^ 『安城市史』 898頁
  61. ^ 『安城市史』 1202頁
  62. ^ 「中日新聞」 1998年10月27日朝刊、西三河版西三河 18頁
  63. ^ 「中日新聞」 2003年4月29日朝刊、西三河 18頁
  64. ^ 「中日新聞」 2003年12月12日朝刊、西三河総合 19頁
  65. ^ 社団法人日本ショッピングセンター協会・全国都道府県別SC一覧より抜粋。
  66. ^ 安城市ホームページ - 環境保全課・ごみ減量推進室
  67. ^ 「中日新聞」 2003年2月27日朝刊、西三河版 18頁
  68. ^ 「第7次安城市総合計画」 146頁
  69. ^ 『広報あんじょう』2005年5月1日号 - 「特集 矢作川水源の森を歩く」
  70. ^ 『安城市史』 1091頁
  71. ^ 『新編安城市史4 現代』 168頁
  72. ^ 日本ソフトボール協会ホームページ - 日本女子ソフトボールリーグ1部 過去の戦績
  73. ^ 『広報あんじょう』 2006年1月1日号 - 「あんじょうみてあるき その22 安城の三河万歳」
  74. ^ 『広報あんじょう』2004年11月1日号 - 「特集 桜井の棒の手」
  75. ^ 名古屋大学大学文書資料室「名大史ブックレット」 - 11.「農学部の誕生と安城キャンパス -学部の誕生と草創期①-」
  76. ^ 安城市ホームページ - エコサイクルシティ計画
  77. ^ 「朝日新聞」 2007年2月27日朝刊、愛知全県第2地方面 34頁
  78. ^ 『新編安城市史4 現代』 366頁
  79. ^ 「中日新聞」 2008年2月9日朝刊、西三河版 20頁
  80. ^ 安城市ホームページ - 平成20年度の主要事業概要
  81. ^ 安城市観光協会ホームページ - サイクリングロード
  82. ^ 安城市ホームページ - レンタサイクル
  83. ^ a b 愛知県ホームページ - 平成19年観光統計
  84. ^ 『広報あんじょう』2007年9月15日号 - 「特集 安城のイチジク」






固有名詞の分類



安城市に関係した商品



安城市のページへのリンク

[PR] おすすめ情報

「安城市」の関連用語
安城市のお隣キーワード
モバイル
モバイル版のWeblioは、下記のURLからアクセスしてください。
http://m.weblio.jp/
» モバイルで「安城市」を見る
_ _   


安城市のページの著作権
Weblio 辞書情報提供元は参加元一覧にて確認できます。

  
日外アソシエーツ株式会社日外アソシエーツ株式会社
Copyright (C) 1994- Nichigai Associates, Inc., All rights reserved.
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの安城市 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2012 Weblio RSS