大野川 (松本市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/13 14:31 UTC 版)
大野川(おおのがわ)は、長野県松本市安曇の集落の1つであり、1874年(明治7年)に安曇村が発足した際には、その構成4か村の1つであった[1]。観光に依拠する地域としての性格が強い。明治初年までは集落が1か所に密集していたが、明治に入ると分散が始まり、1950年代までに分散が進んだ。さらに、1970~80年代にペンションなどが各地にできた。このため、集落は乗鞍高原一帯に散っている。
- ^ 『安曇村誌 第3巻 歴史下』p.3
- ^ a b 『安曇村誌 第3巻 歴史下』p.9-11
- ^ “地図閲覧サービス(旧大野川集落)”. 国土地理院. 2013年9月26日閲覧。
- ^ a b c 『安曇村誌 第3巻 歴史下』p.829
- ^ 服部祐雄『アルプス越えの鎌倉街道』ぎょうせい、2009年5月
- ^ 横山篤美『湯の里白骨(白船)』1970年、p.51
- ^ a b 横山篤美『湯の里白骨(白船)』p.84-85
- ^ 服部英雄『峠の歴史学』朝日新聞出版、2007年9月
- ^ a b c 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.567-573
- ^ a b c 横山篤美『湯の里白骨(白船)』p.52-54
- ^ a b 『安曇村誌 第3巻 歴史下』p.533
- ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.518-519
- ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.519
- ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.516
- ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.517
- ^ a b c d e f g h i 『安曇村誌 第3巻 歴史下』p.9-11
- ^ 『安曇村誌 第3巻 歴史下』p.527
- ^ 服部英雄氏は、『峠の歴史学』72ページで、旧鎌倉街道をつなぐ地名として、松本-橋場-稲核-五領沢(鵬雲崎の一つ西の沢)-大白川-入山-角ケ平-祠峠-峠沢-大野川-中平-花戸-じょうあん坂(十半坂)-くろんぶら-檜峠-牛道-沢渡-ネギ(根木)の沢-いでの尻(池の尻)-ぼったり-夏小屋-障子ヶ瀬-安房峠をあげている。
- ^ 松本市ホームページによる。
- ^ 『安曇村誌 第3巻 歴史下』p.14
- ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.712
- ^ 『安曇村誌 第3巻 歴史下』p.8
- ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.13-14
- ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.56-66
- ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.75
- ^ 『安曇村誌 第2巻 歴史上』p.80-81
- 1 大野川 (松本市)とは
- 2 大野川 (松本市)の概要
- 3 遺跡
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