外套 (プッチーニ)
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『外套』(がいとう、Il tabarro )は、ジャコモ・プッチーニの作曲した全1幕のオペラである。パリ・セーヌ河畔に暮らす荷物船の老船長が、若い妻を巡る争いがもとで部下の若者を殺すさまをショッキングに描く。傾向の異なった3つの一幕物オペラを連続して同時に上演する「三部作」の最初の演目として、1918年12月14日、ニューヨーク・メトロポリタン歌劇場で初演された。
- ^ 舞台劇ヴァージョンでは2つの殺人が並行して行われるが、下にみるようにオペラでは簡略化されて単一の殺人となる。
- ^ イッリカ宛1913年2月9日の書簡。
- ^ イッリカは既に50歳を過ぎていたがイタリア陸軍に志願兵として従軍までしている
- ^ ここで調子外れのオルガンが演奏するのは、ストラヴィンスキー『ペトルーシュカ』を思わせる不協和音に富んだ旋律、およびフレデリック・ショパンのワルツ第2番変イ長調 作品34の1『華麗なる大円舞曲』の引用とも考えられる旋律である。『ペトルーシュカ』初演は1911年であり厳密には台本の時代設定と合わないが、プッチーニは同作品を高く評価していた。
- ^ これはもちろん、プッチーニ自身の『ラ・ボエーム』からの引用である。
- ^ ミケーレのアリア「何もない、静かだ(Nulla! Silenzio)」。初演時にはこの部分は擬人化したセーヌ川に呼びかけるミケーレの独白「流れろ、永遠の河よ(Scorri, fiume eterno)」であったが、改作によってより「ヴェリズモ・オペラ性」が増している。
- ^ またそれ以前の1916年3月にプッチーニが『外套』原作者ゴルドに同作と組み合せて上演できる2幕物の演目はないかとの打診を行っていることも確認されている。つまりはプッチーニも「3作での組み合せ上演」にそれほど拘泥していなかったのかも知れない。
- ^ 本名をエドワード・ジョンソンというカナダ人。歌手引退後はニューヨーク・メトロポリタン歌劇場の支配人(在任1935年-50年)となった。
- ^ ここでもドイツをめぐる政治上の対立が影を落としている可能性がある。トスカニーニはイタリアのドイツ参戦に対して好意的であった。なおこの頃プッチーニはトスカニーニをしばしば「豚野郎」と呼んでいるのが知られているが、これはトスカニーニがプロシュット・ディ・パルマを特産とするパルマ出身であるため。
- ^ この団体の詳細は不明。急造の寄せ集め楽団ではなかったかと想像されている
- ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
- ^ 昭和音楽大学オペラ研究所 オペラ情報センター
- 1 外套 (プッチーニ)とは
- 2 外套 (プッチーニ)の概要
- 3 演奏時間
- 4 関連項目
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