よしおか‐たかよし〔よしをか‐〕【吉岡隆徳】
吉岡隆徳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/11 06:41 UTC 版)
吉岡 隆徳(よしおか たかよし(または「たかのり」[注釈 1])、1909年(明治42年)6月2日[3] - 1984年(昭和59年)5月5日[3])は、昭和初期に活躍した日本の陸上短距離選手。東京高等師範学校(現在の筑波大学)を卒業、元東京女子体育大学教授。名前は「たかよし(たかのり)」のほか、通称で「りゅうとく」とも呼ばれた[2]。身長165cm、体重61kg[3]。
注釈
- ^ コトバンクに収録されている各種事典類では、『ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典』『デジタル版 日本人名大辞典+Plus』『マイペディア』『デジタル大辞泉』『世界大百科事典 第2版』が「たかよし」、『日本大百科全書(ニッポニカ) 』『精選版 日本国語大辞典』が「たかのり」を採用している[1]。Olympediaのラテン文字表記は"Takayoshi"である[2]。
- ^ この事情についてはフォルチュナト・カタロンも参照。
- ^ 手動計時、他にラルフ・メトカーフらを含む4人が記録。
- ^ 保阪正康 (1984)はタイムを「10秒9」と記しているが[13]、Olympediaに従う。
- ^ 明治神宮競技大会が改称した大会。
出典
- ^ a b "吉岡隆徳". ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典. コトバンクより2023年3月26日閲覧。
- ^ a b Takayoshi Yoshioka - Olympedia(英語)
- ^ a b c “Takayoshi Yoshioka Bio, Stats, and Results”. Olympics at Sports-Reference.com 2020年9月24日閲覧。
- ^ a b c 保阪正康 1984, pp. 13–14.
- ^ a b c d e 保阪正康 1984, pp. 21–23.
- ^ a b c FAR EAST CHAMPIONSHIPS - GBR Athletics(英語)2023年5月6日閲覧。
- ^ a b c 保阪正康 1984, p. 15.
- ^ a b 保阪正康 1984, p. 19.
- ^ a b c 保阪正康 1984, pp. 24–29.
- ^ 【オリンピック・パラリンピック 歴史を支えた人びと】川本信正 平和への思いに貫かれたスポーツ評論 - 笹川スポーツ財団(2019年9月18日)2023年5月3日閲覧。
- ^ オリンピック競技大会 入賞者一覧
- ^ 保阪 1984, p. 6.
- ^ a b c d e f 保阪正康 1984, pp. 33–36.
- ^ a b 日本選手権男子100m優勝者 - 月陸Online
- ^ a b 保阪正康 1984, pp. 30–33.
- ^ 鎌田忠良 1988, pp. 288–289この内容は吉岡の著書『わが人生一直線』による。
- ^ 100 metres, Men 1936 Summer Olympics - Olympedia (英語)2023年5月5日閲覧。
- ^ 鎌田忠良 1988, pp. 460–462この内容は吉岡の著書『わが人生一直線』による。
- ^ a b c d 保阪正康 1984, pp. 37–38.
- ^ a b c d 保阪正康 1984, pp. 38–40.
- ^ 保阪正康 1984, pp. 56–57.
- ^ 保阪正康 1984, pp. 78–79.
- ^ a b c 保阪正康, p. 44.
- ^ a b 保阪正康 1984, pp. 9–12.
- ^ 保阪正康 1984, p. 47.
- ^ a b 保阪正康 1984, p. 52.
- ^ “「暁の超特急」立つ 吉岡さんの記念碑除幕 出雲 /島根”. 毎日新聞. (2020年8月9日) 2022年7月30日閲覧。
- ^ a b 保阪正康 1984, p. 42.
- ^ 保阪正康 1984, p. 41.
- ^ 1932年のロス五輪、男子100m決勝に残った吉岡隆徳 神経を鋭敏にする訓練とは
- ^ 保阪正康 1984, pp. 27–30.
- ^ 保阪正康 1984, p. 20.
固有名詞の分類
- 吉岡隆徳のページへのリンク