千葉命吉
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千葉 命吉(ちば めいきち、1887年 - 1959年)は明治 - 昭和時代の教育研究者、教育者。奈良女高師付属小学校訓導などをへて、大正9年広島師範付属小学校の主事(現在の校長と同等)となる。大正10(1921年)年八大教育主張講演会で子供の独創性を重視する「一切衝動皆満足論」を発表。大正11年(1922年)ドイツに留学、独創学を研究。昭和3年(1928年)大日本独創学会を設立した。著作に「独創主義教育価値論」「独創教育学」など[1]。
- ^ この本は出版後1年10ヶ月後には第8刷を出しており、当時の多くの人の読まれたことがわかる[3]。
- ^ 及川平治の仮説実験的思想は「仮説実験的認識論」を参照のこと。
- ^ 千葉の著書には及川の本が参考文献としてあげられ、「動的教育法」「分団式教育法」という言葉を本文の中でも用いている[5]。
- ^ 千葉と同じ附属小学校に勤務した時代があり、千葉の影響を受けていた[5]。
- ^ 1500人の参加者を集めたという。
- ^ 広島県西条町の西条小学校は、広島附属小学校時代に千葉の独創教育の影響を受けた檜高憲三(1897-1966)が校長となり、千葉の独創教育論を実践している唯一の学校だった[2]。
- ^ 現在の図工教室。
- ^ 「お染・久松」とは江戸前期に心中事件を起こしたとされる男女。浄瑠璃の「染模様妹背門松」(1767)と「新版歌祭文」(1780)とが有名[16]。
- ^ 1884-1963年。国定『小学校理科書』時代のもっとも独創的な理科教育研究の指導者。彼の教育科定論は日本で初めての実践的な教育理論だった[18]。
- ^ a b c コトバンク.
- ^ a b c 鈴木和正 2017, p. 101.
- ^ a b c d e 板倉聖宣 1972, p. 248.
- ^ a b c 板倉聖宣 2009, p. 320.
- ^ a b 板倉聖宣 2009, p. 322.
- ^ a b c 板倉聖宣 2009, p. 321.
- ^ a b c d e f g 板倉聖宣 1972, p. 249.
- ^ 鈴木和正 2017, pp. 100–101.
- ^ a b 板倉・長谷川 1986, p. 292.
- ^ 立川正世 1993, p. 53.
- ^ 立川正世 1993, p. 57.
- ^ a b c d e f 立川正世 1993, p. 59.
- ^ 鈴木和正 2017, p. 103.
- ^ 鈴木和正 2017, p. 104.
- ^ 板倉聖宣 1972, p. 247.
- ^ コトバンクb.
- ^ 鈴木和正 2017, p. 108.
- ^ 板倉聖宣 2009, p. 323.
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