亀田藩士秋田退散事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/01 10:24 UTC 版)
亀田藩士秋田退散事件(かめだはんし あきた たいさんじけん)は、1761年(宝暦11年)4月に出羽国亀田藩から100人以上の藩士が脱藩して、隣接する久保田藩(秋田藩)へ赤平白山越え[1]で逃れた事件である。脱藩者の中には藩主一門の岩城八百之助(やおのすけ)、同じく岩城帯刀(たてわき)、家老の大内図書(ずしょ)という重臣3名が含まれていた。藩内の対立で藩士が他藩に訴えるという事態は、明るみに出れば御家断絶になり兼ねない大事件であった[1]。
- 1 亀田藩士秋田退散事件とは
- 2 亀田藩士秋田退散事件の概要
- 3 脚注・参照
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