中田厚仁とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 中田厚仁の意味・解説 

中田厚仁

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 03:51 UTC 版)

中田 厚仁(なかた あつひと、1968年1月10日 - 1993年4月8日)は、国際連合ボランティア(UNV)。1993年に国際連合カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が実施した1993年カンボジア総選挙の選挙監視員として活動中に殺害された。大阪府東大阪市出身。大阪大学法学部卒業。父は国連ボランティア終身名誉大使の中田武仁。


注釈

  1. ^ 後に中田は、カンボジアの選挙ボランティアに参加した動機の原点が少年時代にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所を訪れたことにあると語っている。
  2. ^ 中田は国連ボランティア(UNV)としてUNTACの郡選挙監視員(DES)の職務に就いたことになり、UNVとDESの2つの身分を有していた[4]
  3. ^ 近郊に住むカンボジア人たちの年間平均所得が100-200ドル、現地スタッフは平均200ドルの月収が見込まれていたため、応募者が殺到した[27]
  4. ^ 根拠として、死亡する前に中田たちがクメール・ルージュによる犯行を示唆していたが、地元住民が犯人であったならレイ・ソク・ピープには判別がついたはずだということが挙げられる[27]
  5. ^ 選挙ボランティアの同僚であった阪口直人によると事件発生直前、コンポントム州のDES安全が確保されるまで仕事を停止する旨の表明を準備していたという[37]
  6. ^ 明石康によると、中田の死後プノンペンでUNVと治安対策と総選挙実施の意義について議論を行った結果、9割は納得して任地へ戻り、1割は帰国を表明した[45]
  7. ^ この募金はもともとは1996年に起こった洪水からの復興のために集められたものだった。
  8. ^ 具体的な職務内容は定められておらず、武仁は自らの意思で活動を行った。
  9. ^ 退任後は「終身名誉大使」としてUNVに協力。

出典

  1. ^ 中田1995、69頁。
  2. ^ 中田1995、86頁。
  3. ^ 中田1995、69・117-121頁。
  4. ^ a b 上田1993、80-81頁。
  5. ^ 中田1995、11-12頁・121-124頁。
  6. ^ 吉岡1994、79-81頁。
  7. ^ 上田1993、81頁。
  8. ^ 篠田1994、68-69頁。
  9. ^ a b c 吉岡1994、79頁。
  10. ^ 中田1995、142頁。
  11. ^ 中田2001、30頁。
  12. ^ a b c d 中田2001、33頁。
  13. ^ a b 中田1995、147-148頁。
  14. ^ 産経新聞「凛として」取材班2005、43頁。
  15. ^ 産経新聞「凛として」取材班2005、45頁。
  16. ^ a b 産経新聞「凛として」取材班2005、47頁。
  17. ^ 中田1995、128-135頁。
  18. ^ 産経新聞「凛として」取材班2005、47-48頁。
  19. ^ a b c d e 近藤1994、164頁。
  20. ^ a b 中田1995、141-146頁。
  21. ^ 明石1995、67頁。
  22. ^ 三好1994、176頁。
  23. ^ 三好1994、177頁。
  24. ^ 三好1994、176-177頁。
  25. ^ 中田1995、144頁。
  26. ^ 吉岡1994、81頁。
  27. ^ a b 近藤1994、168頁
  28. ^ 中田1995、149-150頁。
  29. ^ a b c 近藤1994、168頁。
  30. ^ 三好1994、176・178頁。
  31. ^ a b 明石1995、68頁。
  32. ^ 吉岡1994、80-82頁。
  33. ^ 吉岡1994、82頁。
  34. ^ 吉岡1994、129-130頁。
  35. ^ a b 三好1994、178頁。
  36. ^ 産経新聞「凛として」取材班2005、50頁。
  37. ^ 阪口1994、195-196頁。
  38. ^ a b 阪口1994、195頁。
  39. ^ 中田1995、145-146頁。
  40. ^ 明石1995、70頁。
  41. ^ 明石1995、71頁。
  42. ^ 近藤1994、167頁。
  43. ^ 中田1995、127・150頁。
  44. ^ 明石1995、69頁。
  45. ^ 明石1995、70-72頁。
  46. ^ 福永1994、243-244・250-255頁。
  47. ^ a b 三好1994、181頁。
  48. ^ 明石1995、72頁。
  49. ^ 明石1995、72-73頁。
  50. ^ 小川1993、94-107頁。
  51. ^ 中田2001、41頁。
  52. ^ 産経新聞「凛として」取材班2005、53頁。
  53. ^ 中田2001、60-61頁。
  54. ^ 中田2001、62-69頁。
  55. ^ 中田2001、65頁。
  56. ^ 中田2001、69-74頁。
  57. ^ 中田1995、164-172頁。
  58. ^ 中田1995、86-97頁。
  59. ^ 中田1995、95-96頁。
  60. ^ 中田厚仁記念文庫が設置されました 大阪大学図書館報 Vol.28, No.2/3(通巻115/116号)、1994年11月30日。(2009年4月15日閲覧)
  61. ^ ボランティアは生きる証し 中田国連名誉大使が退任四国新聞社全国ニュース、2008年4月28日付。(2009年4月15日閲覧)
  62. ^ 中田2001、48-58頁。


「中田厚仁」の続きの解説一覧



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「中田厚仁」の関連用語

中田厚仁のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



中田厚仁のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの中田厚仁 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS