三条基定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/16 02:57 UTC 版)
三条 基定(さんじょう もとさだ)は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけての公卿。非参議従三位、修理大夫。父は正四位下左中将三条成定。母は法眼行仁の母。
- ^ 叙爵の年月日は不詳。
- ^ 陰明門院御給
- ^ 臨時
- ^ 皇后が安喜門院の院号を宣下されたため
- ^ 遠藤珠紀、「鎌倉期朝廷社会における官司運営の変質:修理職・内蔵寮の検討を通して」p. 1722によれば、修理職を左大臣九条良平が拝領し、良平の推挙によって基定が修理大夫に補任されたようである。
- ^ 行幸時の左大臣の譲り。左大臣とは九条良平である。
- ^ 『公卿補任』には「前左大臣(九条良平)以修理職下総国等。相模伯耆日向国等故也』と注記がある。すなわち遠藤氏論文にあるように、修理職の「職務」であり実質的な支配権を持つ九条良平がその「職務」を辞して代わりに知行国を賜りたいと申し出たことを指す。挙げられた国名は知行国の候補である。
[続きの解説]
「三条基定」の続きの解説一覧
- 1 三条基定とは
- 2 三条基定の概要
- 三条基定のページへのリンク