三匹の侍
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『三匹の侍』(さんびきのさむらい)は、1963年(昭和38年)から1969年(昭和44年)にかけてフジテレビ系列で毎週木曜日20時から20時56分に放映された連続テレビ時代劇。最高視聴率は42パーセントを記録した。全6シリーズ(157話)。第3シリーズまで生放送・一部モノクロフィルムおよびVTR、第4シリーズ以降モノクロVTR・一部モノクロフィルム作品。
- ^ 講談社 編『TVグラフィティ : 1953年〜1970年ブラウン管のスター・ヒーロー・名場面1700』講談社、1978年4月3日、182 - 183頁。NDLJP:12275878/95。
- ^ 志賀信夫『テレビヒット番組のひみつ : 「ジェスチャー」から「おしん」まで』日本放送出版協会、1984年8月1日、99 - 101頁。NDLJP:12275392/53。
- ^ a b 『テレビ史ハンドブック』
- ^ 春日太一「夏八木勲さん 五社監督と「刀を当てる」殺陣の流儀を貫いた」『週刊ポスト』2013年4月26日号、NEWSポストセブン、2013年5月13日、2013年7月14日閲覧。
- ^ 福本清三、小田豊二「第2章 斬られ千人」『どこかで誰かが見ていてくれる 日本一の斬られ役・福本清三』集英社、2001年11月30日、136頁。ISBN 4420310030。
- ^ 『長野放送二十年の歩み』(1989年5月25日、長野放送発行)174頁『昭和44年4月基本番組表』より。
- ^ 第1シリーズ放映当時は日本テレビ系列であったが、当時のフジテレビ系列局であった九州朝日放送(当時NETテレビ(現:テレビ朝日)系列とのクロスネット局だったことから、本番組の時間帯では外国テレビ映画『世界のサーカス』などNETテレビとの同時ネット枠だった。出典:中国新聞、1964年1月1日、テレビ欄)でなくテレビ西日本で放送されていた(『テレビ西日本十年史』の系列変更に関する項で「前年に三匹の侍はマイクロネットされていた」との記述あり)。また、『そして、フジネットワークは生まれた 日本有数のネットワーク、成長・発展の時代から挑戦の日々へ』(境政郎著・扶桑社)では、親会社の西日本新聞社が産業経済新聞社と関係を深め始めていたことから、フジテレビから同時ネットの打診を受け、テレビ西日本の当時の経営陣がこれに応じ、日本テレビの専務が本社に乗り込んで拒絶の意を伝えるも、社長がこれを拒絶し、結局同時ネットが行われ、フジテレビ系列へのネットチェンジへの端緒となったことが記されている。第2シリーズ以降はフジ系列にネットチェンジしてからの放映。
- ^ 第1シリーズは、プロ野球西鉄ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)主催試合を自社制作で日本テレビ系列向けに中継した際に後日の遅れネットとしていた(実例:1964年4月9日放送分を西鉄対南海戦全国中継のため翌10日の22:15から放送。出典:各日のの中国新聞テレビ欄)。この場合、雨天中止時も雨傘番組が通常非ネットの『百万ドルの饗宴』(日本テレビ)のため遅れネットのままだった。
- ^ “三匹の侍”. 松竹. 2023年4月15日閲覧。
- ^ a b 主演:平幹二朗・加藤剛・長門勇「三匹の侍」現存する3シリーズを一挙放送! - 時代劇専門チャンネル、2015年3月1日閲覧
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