一県一医大構想
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/28 06:43 UTC 版)
一県一医大構想(いっけんいちいだいこうそう)は、1973年に第2次田中角栄内閣の元で閣議決定された「経済社会基本計画」に盛り込まれた構想で、当時医学部のなかった15県[注釈 1]に医科大学(医学部)を設置しようとする構想。「無医大県解消構想」とも呼ばれる。この構想による医学部設置政策は「一県一医大政策」「無医大県解消政策」と呼ばれる。
- ^ 山形県、茨城県、富山県、福井県、山梨県、静岡県、滋賀県、島根県、香川県、愛媛県、高知県、佐賀県、大分県、宮崎県、沖縄県の15県である。なお、戦後長らく医学部のなかった県のうち、秋田県には1970年に秋田大学医学部、栃木県には1972年に自治医科大学、埼玉県には1972年に埼玉医科大学が設置されていた。
- ^ それまでの入学定員が40名〜80名であったものを、各大学の状況に応じ60名〜120名まで拡大した。
- ^ 公立大学の国立大学移管による設置を除く。なお、同年に私立3校(杏林大学医学部、北里大学医学部、川崎医科大学)も学制改革以後初の私立大学医学部として設置されている。
- ^ 1972年11月及び1973年2月の段階では、旭川医科大学、山形大学医学部、愛媛大学医学部および筑波大学医学専門学群の創設準備は進められており、設置は既定路線になっていたが、これらの医学部設置は一県一医大構想に含まれる。
- ^ 1970年から1979年までに設立された34の医科大学(医学部)は「新設医科大学」と呼ばれる。
- 1 一県一医大構想とは
- 2 一県一医大構想の概要
- 3 脚注
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