リシャール3世 (ノルマンディー公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/24 04:37 UTC 版)
リシャール3世(Richard III, 997/1001年 - 1027年8月6日)は、ノルマンディー公(在位:1026年 - 1027年)。ノルマンディー公リシャール2世の長男[1]。リシャールの治世は1年足らずで、弟の反乱に始まり、リシャールの原因不明の死によって終わった。
- ^ a b c D. Schwennicke, Tafel 79
- ^ F. Neveux, p. 97-8
- ^ D. Crouch, p. 46
- ^ a b D. Schwennicke, Tafel 11
- ^ David C. Douglas, William the Conqueror (1977): 93を参照。(「ギヨーム公の治世の初め、ベッサン(Bessin)の子爵はラヌルフであった。彼はAnschitilという名の子爵の息子であった。彼はリシャール3世公の娘と結婚し、ヴァル=エス=デュンヌの反乱で敗北した。それにもかかわらず、その地位は一族に安堵され、ノルマン・コンクエスト以前にアブランシュで地位を築いた別のラヌルフ(2世)に継承され、そのラヌルフは1089年4月以降まで生存した。さらに、このラヌルフ2世はアヴランシャン子爵リシャールの娘モードと結婚し、これにより後にチェスター伯位を継承することになる二つの有力な子爵家(vice-comital dynasties, 副伯家)が繋がったのである。」)
- ^ D. C. Douglas, p. 32を参照。また、Wailly et al., 379 (E Directorio Monasterii Sancti Audoeni Rotomagensis, Ex Calendario: “26 Febr. Obiit Nicholas abbas.(2月26日、修道院長ニコラが死去)”)、385 (“Selon cheu qui est contenu es croniques des Normans, Richart li tiers, duc de Normendie, fix du secont Richart duc, out un fix appelé Nichole, qui fu moine à Fescampe, et après fu abbe de l’abaie de Saint-Ouen de Rouen(ノルマンディー公リシャール3世はリシャール2世の息子で、息子ニコルがおり、彼はフェカンの修道士で後にルーアンのサン=トゥアン修道院長となった)”)、および、387 (Extrait des Chroniques de Saint-Ouen de Rouen: Nicholas, Abbot of Saint-Ouen, Rouen styled “son of Duke Richard III” [Nichole, fix au tiers duc Richart de Normendie])も参照。
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