マリー・ドルレアン (1813-1839)とは? わかりやすく解説

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マリー・ドルレアン (1813-1839)

(マリー・クリスティーネ・フォン・オルレアンス から転送)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/08 16:29 UTC 版)

マリー・ドルレアンMarie d’Orléans, 1813年4月12日 パレルモ - 1839年1月6日 ピサ)は、7月王政期のフランスルイ・フィリップの娘、彫刻家。ジャンヌ・ダルクの図像表象を、それまで約250年にわたって主流だった「吏員系フランス語版[注釈 1]」の図像から、実証的な男装戦士の図像に転換させるうえで、大きな役割を果たしたことで知られる[1]


注釈

  1. ^ 1581年にオルレアン市庁舎職員(吏員)の注文で描かれた、非男装・女性服姿で、当時の流行の羽飾りを頭に付けたジャンヌ・ダルク像。19世紀初頭まで広く流布した(高山一彦『ジャンヌ・ダルク』岩波書店(岩波新書)、2005年、P101)。

出典

  1. ^ R・ペルヌー、M・V・クラン『ジャンヌ・ダルク』東京書籍、1992年、P453
  2. ^ 高山、前掲書、P106-107


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