ペタル4世
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 22:50 UTC 版)
ペタル4世(ブルガリア語: Петър IV, ? - 1197年)は、第二次ブルガリア帝国の皇帝(ツァール、在位:1185年/86年 - 1187年[1]/90年[2]、1196年 - 1197年)。即位前の名前はテオドル(Theodore、あるいはトドル/Todor)。第一次ブルガリア帝国滅亡後から第二次ブルガリア帝国建国までの間に、一時的にブルガリアに独立した政権を樹立したペタル・デリャンとコンスタンティン・ボディンを皇帝に数えない場合、ペタル2世と数える。
- ^ a b 寺島「アセン兄弟の蜂起」『東欧を知る事典』新訂増補、9頁
- ^ a b c 森安、今井『ブルガリア 風土と歴史』、120-121頁
- ^ 尚樹『ビザンツ帝国史』、612頁
- ^ R.J.クランプトン『ブルガリアの歴史』(ケンブリッジ版世界各国史, 創土社, 2004年2月)、35-36頁
- ^ a b ディミトロフ、イスーソフ、ショポフ『ブルガリア』1、84頁
- ^ a b 尚樹『ビザンツ帝国史』、613頁
- ^ a b c ディミトロフ、イスーソフ、ショポフ『ブルガリア』1、85頁
- ^ 尚樹『ビザンツ帝国史』、612-613頁
- ^ a b c ディミトロフ、イスーソフ、ショポフ『ブルガリア』1、86頁
- 1 ペタル4世とは
- 2 ペタル4世の概要
- 3 参考文献
- ペタル4世のページへのリンク