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ダース・ローマシュ匡
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/12/24 14:02 UTC 版)
| 北海道日本ハムファイターズ #66 | |
|---|---|
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 奈良県生駒市 |
| 生年月日 | 1988年12月15日(21歳) |
| 身長 体重 |
191cm 78kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 |
| ポジション | 投手 |
| プロ入り | 2006年 高校生ドラフト4巡目 |
| 初出場 | 2008年5月6日 |
| 年俸 | 520万円(2009年) |
| 経歴(括弧内は在籍年) | |
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この表について
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ダース・ローマシュ匡( - たすく、1988年12月15日 - )は、北海道日本ハムファイターズに所属するプロ野球選手(投手)。
191cmの長身から投げ込む角度のある直球に加え、癖球的シュート、フォーク、高速スライダー、チェンジアップを持ち、荒れ球という弱点を利用して打者に狙い球を絞らせないピッチングが持ち味である。腕の振り上げの速さと位置で球種がはっきり分かってしまうのが難点。
目次 |
来歴・人物
インド人の父親と日本人の母親の間に生まれる。名前の由来は「21世紀を背負う人物となって欲しい」という願いを込め、21=12+9(ダース“たす・く”)から。インドの西ベンガル州に起源を持っている。
日本生まれの日本育ちである為英語はほとんど喋れない。本人曰く「周りからは当然喋れるように思われている」。また、カレーが苦手。
ザンギ(唐揚げ)が好物で一部では「ザンギ王子」とも呼ばれている。
プロ入り前
幼少期は野球が嫌いで、バスケットボールに興味があった。野球人生のスタートは小学校2年時であり、地元生駒市の少年野球チーム「生駒ドラゴンズ」に友達の誘いを受けて入団したが、野球のルールも知らず「面白くない、やめたい」が口癖だった。しかし「約束は守る」と言う家内ルールがあり、「6年生まで続ける」と言う約束を守り途中で投げ出す事はなかった。
小学校3年生の時、オリックス・ブルーウェーブ対日本ハムの試合をグリーンスタジアム神戸の三塁側で観戦した際に、オリックスの選手が一塁側でファンサービスに努めるのとは対照的に三塁側ベンチの日本ハム選手のファンサービスが一切なかったため、「野球も日本ハムも嫌い」と不満を漏らした。しかし後に日本ハムに入団する際には不満の様子はなく、一時的な感情の高まりから出た言葉だったと思われる。
中学では生駒シニアに入団し、3年時にはエース兼四番打者としてチームを引っ張り全国大会にまで駒を進めた。その後地元近畿地方の強豪校からの誘いもあったが、岡山県の関西高等学校に野球留学する。高校2年生の時、秋の明治神宮野球大会で準優勝の原動力となる等、プロから注目をされるまでの選手となる。しかし甲子園では勝ち運に見放されたかの様な敗戦に涙し、一部の高校野球ファンからは2学年上で同じくハーフのダルビッシュ有のニックネーム「剛球王子」を捩って「号泣王子」と呼ばれた(後述)。また、その容姿と、ハーフであることから「ダルビッシュ2世」と呼ばれたことがある。
2006年のプロ野球ドラフト会議(高校生対象)で北海道日本ハムファイターズに4巡目指名された。同年のドラフト会議(大学生・社会人ほか対象)で同じ日本ハムに指名された宮本賢(早稲田大学)は高校の先輩に当たる。背番号66は憧れの投手である斉藤和巳(福岡ソフトバンクホークス)に肖っている。
日本ハム入団会見後、本格的インド料理が北海道では有名な豊平峡温泉から、入浴無料とインド料理食べ放題の提案があった。
プロ時代
ルーキーイヤーの2007年シーズンは故障に見舞われ、2軍でも公式戦登板は無かった。2年目の2008年5月6日に西武戦でプロ初登板。
2009年以降は方針転換で中継ぎ、クローザーとして期待されている。
背番号
- 66(2007年 - )
年度別投手成績
| 年 度 |
球 団 |
登 板 |
先 発 |
完 投 |
完 封 |
無 四 球 |
勝 利 |
敗 戦 |
セ 丨 ブ |
ホ 丨 ル ド |
勝 率 |
打 者 |
投 球 回 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
敬 遠 |
与 死 球 |
奪 三 振 |
暴 投 |
ボ 丨 ク |
失 点 |
自 責 点 |
防 御 率 |
W H I P |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 2008 | 日本ハム | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 22 | 5.0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0.00 | 1.40 |
| 通算:1年 | 1 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 22 | 5.0 | 4 | 0 | 3 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0.00 | 1.40 | |
- 2009年度シーズン終了時
個人記録
号泣王子
一部で呼ばれる「号泣王子」のニックネームは甲子園での以下の出来事から付けられた。
- 高校2年生だった2005年夏の第87回大会、対京都外大西高校戦で、6点リードの状態で登板したにもかかわらず、8・9回に計8失点と打ち込まれ、チームが敗退。試合中から号泣していた。
- 高校3年生となった翌2006年春の第78回選抜大会では、2回戦の対早稲田実業高校戦で互いに相譲らず7-7のまま延長15回引き分けになったが、翌日の再試合では、9回の勝利目前、味方のエラーがきっかけで逆転されてしまい、3-4と早稲田実に敗北した。この時も他のチームメート達と一緒に涙を流した(関西対早稲田実業延長15回引き分け再試合)。
- 高校生最後のマウンドとなった2006年夏の第88回大会、8月8日の対文星芸大附属高校戦で、6回途中から登板。しかし9回裏にまさかのサヨナラ負けを喫し、マウンドにうずくまったまま泣き崩れた。なお、4点差以上を2度追いついての大逆転劇は、春夏の甲子園を通じて史上初めての出来事だった。
- 2007年にも、仙台育英高校の佐藤由規(現・東京ヤクルトスワローズ)がよく泣くことからやはり同様に「号泣王子」と称された。
出典
関連項目
外部リンク
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固有名詞の分類

