セントラル映画社
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セントラル映画社(セントラルえいがしゃ、英語: Central Motion Picture Exchange)は、かつて存在した連合国軍占領下の日本の映画配給会社である[1][2][3][4][5]。1946年(昭和21年)2月1日、連合国軍最高司令官総司令部の外郭団体として設立され、同月28日から日本国内でのアメリカ映画のリリースを開始する[1][4]。1951年(昭和26年)12月27日、解体された[2]。日本では「セントラル映画社」のほか、セントラル・モーション・ピクチュア・エクスチェンジ(あるいは・エキスチェンジ)[1]、セントラル・フィルム・エキスチェンジ[6]と表記されることもあり、略称は英語: CMPE[1][4]、あるいはセントラル[2][7][8]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i 年鑑[1951], p.214.
- ^ a b c d e f g 年鑑[1953], p.127.
- ^ a b c d e f キネ[1956], p.93.
- ^ a b c d e f 直営洋画劇場上映作品 1934–1954、東宝、2014年2月25日閲覧。
- ^ いちごブロンド - KINENOTE、2014年2月25日閲覧。
- ^ a b c キューリー夫人 - KINENOTE、2014年2月25日閲覧。
- ^ マルタの鷹(1941) - KINENOTE、2014年2月25日閲覧。
- ^ a b c d e f 浜野[2008], p.276.
- ^ a b c 電通[1956], p.744-750.
- ^ a b c d e f g 田中[1980], p.274-283.
- ^ a b 春の序曲 - KINENOTE, 2014年2月25日閲覧。
- ^ 樺山ほか[1998], p.447.
- ^ 半藤[2007], p.64.
- ^ ユーコンの叫び - KINENOTE、2014年2月25日閲覧。「未公開」は誤り(樺山ほか[1998], p.447., 半藤[2007], p.64.)。
- ^ a b 谷川[2002], p.460.
- ^ a b c d 谷川[2002], p.347.
- ^ a b 年鑑[1951], p.328-432.
- ^ a b 年鑑[1963], p.165-168.
- ^ 年鑑[1959], p.312.
- ^ a b 谷川[2002], p.363.
- ^ a b c d e 浜野[2008], p.282.
- ^ 十三号桟橋 - KINENOTE、2014年2月25日閲覧。
- ^ a b ダラス - allcinema、2014年2月25日閲覧。
- ^ a b リオ・グランデの砦 - allcinema、2014年2月25日閲覧。
- ^ a b 二世部隊 - allcinema、2014年2月25日閲覧。
- ^ a b 腰抜け千両役者 - allcinema、2014年2月25日閲覧。
- ^ a b アリババと四十人の盗賊 - allcinema、2014年2月25日閲覧。
- ^ a b 南部の人 - KINENOTE、2014年2月27日閲覧。
- ^ a b エイブ・リンカン - KINENOTE、2014年2月27日閲覧。
- ^ 「水戸東映シネマ、10日閉館 老舗映画館また姿消す シネコン進出、共存難しく」『茨城新聞』2006年2月8日
- ^ 「水戸東映シネマ 46年の歴史に幕 跡地利用で街の活性化」『毎日新聞』2006年2月12日
- 1 セントラル映画社とは
- 2 セントラル映画社の概要
- 3 評価
- 4 脚注
- セントラル映画社のページへのリンク