ウィリアム・ド・ラ・ポール (初代サフォーク公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/14 04:23 UTC 版)
初代サフォーク公・初代サフォーク侯・第4代サフォーク伯ウィリアム・ド・ラ・ポール(William de la Pole, 1st Duke of Suffolk, 1st Marquess of Suffolk, 4th Earl of Suffolk, KG, 1396年10月16日 - 1450年5月2日)は、百年戦争期のイングランドの主要な司令官の一人であり、後に王室侍従長として国王ヘンリー6世に仕えた貴族である。第2代サフォーク伯マイケル・ド・ラ・ポールとキャサリン・ド・スタッフォード[注 1]の次男として、サフォークのコットン(Cotton)で生まれた。
- ^ スタッフォード伯ヒュー・スタッフォードの娘
- ^ この時点でウィリアムはまだフランスで囚われの身であり、日付はあくまで結婚の認可が得られた日付である。
- ^ アリス・チョーサー(1404年 - 1475年) - トマス・チョーサー(庶民院議長)の娘であり、詩人のジェフリー・チョーサーの孫娘である。ソールズベリー伯の未亡人でもあった彼女にとってはこれが3回目の結婚である。また、祖母フィリッパがボーフォート枢機卿の母キャサリン・スウィンフォードの妹であった関係でボーフォート家とも血縁関係があった。尾野、P51。
- ^ ウォリングフォード城(Wallingford Castle)、現オックスフォードシャー、ウォリングフォード
- ^ 2月にグロスター公は議会へ出席を命じられたが、その途中に反逆罪で逮捕され、5日後に急死した。この逮捕劇は対フランス抗戦派のグロスター公が邪魔だったサフォーク侯とマーガレットら和平派が仕組んだ陰謀の疑いがあり、死因も暗殺ではないかとされている。森、P217、城戸、P210、Pn74。
- 1 ウィリアム・ド・ラ・ポール (初代サフォーク公)とは
- 2 ウィリアム・ド・ラ・ポール (初代サフォーク公)の概要
- 3 参考文献
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