アスト部とは? わかりやすく解説

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アスト部

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/07 10:05 UTC 版)

アスト部モンゴル語: Asd)とは、主に15世紀から17世紀にかけてモンゴル高原で活動した遊牧部族の一つ。「アス人」とは本来は西方のカフカース地方に住まうアラン人の別称であり、東方に移住したアス人=アラン人が大元ウルス治下において「阿速(アス)衛」と呼ばれる軍団を組織したのがアスト部族の起源となった。14世紀末に大元ウルスが北遷すると(北元)、同じく西方起源のキプチャク=ハラチン部とともにモンゴル高原において遊牧部族化し、アスト部として知られるようになったが、17世紀リンダン・ハーンの征西によって滅亡した。


  1. ^ 赤坂2010,148-149頁
  2. ^ a b 赤坂2010,149頁
  3. ^ 赤坂2010,150-151頁
  4. ^ 赤坂2010,152-153頁
  5. ^ 『元史』巻3憲宗本紀,「十一年己亥春……冬十一月、蒙哥率師囲阿速蔑怯思城、閲三月、抜之」
  6. ^ 訳文は村上1976,328頁より引用
  7. ^ 赤坂2010,157-159頁
  8. ^ 杉山1996,157-158頁
  9. ^ 『元史』巻86志36百官志2,「右阿速衛親軍都指揮使司、秩正三品、掌宿衛城禁、兼営潮河・蘇沽両川屯田、供給軍儲。至元九年、初立阿速抜都達魯花赤、置属官。二十三年、遂名為阿速之軍。至大二年、改立右阿速衛親軍都指揮使司……。……左阿速衛親軍都指揮使司、品秩職掌同右阿速衛。至元九年、初立阿速抜都達魯花赤、置属官。二十三年、遂名為阿速之軍。至大二年、改立左衛阿速親軍都指揮使司」
  10. ^ 杉山1996,205-206頁
  11. ^ 『元史』巻99志47兵志2,「右阿速衛:至元九年、初立阿速抜都達魯花赤、後招集阿速正軍三千餘名、復選阿速掲只掲了温怯薛丹軍七百人、扈従車駕、掌宿衛城禁、兼営潮河・蘇沽両川屯田、並供給軍儲。二十三年、為阿速軍南攻鎮巣、残傷者衆、遂以鎮巣七百戸属之、並前軍総為一万戸、隷前後二衛。至大二年、始改立右衛阿速親軍都指揮使司。左阿速衛:亦至大二年改立」
  12. ^ 『元史』巻207列伝94鉄失伝,「秋八月癸亥……以鉄失所領阿速衛兵為外応、殺右丞相拜住、而鉄失直犯禁幄、手弑英宗於臥所」
  13. ^ 『元史』巻138列伝25伯顔伝,「至大二年十一月、拜尚書平章政事、特賜蛟龍虎符、領右衛阿速親軍都指揮使司達魯花赤
  14. ^ 訳文は高田2019,658-660頁より引用
  15. ^ 『元史』巻順帝本紀,「[至正二年]秋七月……是月、拂郎国貢異馬、長一丈一尺三寸、高六尺四寸、身純黒、後二蹄皆白」
  16. ^ 高田2019,662-663頁
  17. ^ 『元史』巻132列伝19杭忽思伝,「杭忽思、阿速氏、主阿速国。……及其長子阿塔赤扈駕親征。……且命其子伯答児襲千戸……次子福定、襲職、官懐遠大将軍、尋改右阿速衛達魯花赤、兼管後衛軍」
  18. ^ 和田 1959,388-389頁
  19. ^ 岡田2010,70-71頁
  20. ^ 訳文は岡田2004,250-251頁より引用
  21. ^ また、同じくハラチン・トゥメンに属していた東トゥメトも「ハラチン人」を自称していたことが知られている。
  22. ^ 『蒙古源流』には「トゥメン太子は己亥の年生まれで、三十歳の戊午の年に帝位についた。三十八歳の丙子の年に、腰刀を結ぶカルマ・ラマと会って、仏法の門に入って、六万人隊を集め、大政令を伝え示して、左翼の万人隊からチャハルのナムダイ・ホンタイジ、ハルハのウイジェン・スブハイ、右翼の万人隊からオルドスのホトクタイ・セチェン・ホンタイジ、アストのノムダラ・フルチ・ノヤン、トゥメトのチュルケ・ホンタイジらをして政を執らせたので、ジャサクト・ハーンとしてあらゆる方向に有名になって……」と記されている(訳文は岡田2004,244頁から引用)
  23. ^ 烏雲畢力格2017,27-28頁


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