「東寺長者」を解説文に含む見出し語の検索結果(1~10/225件中)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/21 01:52 UTC 版)「東寺長者」の記事における「東寺長者補任」の解説東寺長者補任(とうじちょうじゃぶにん)と...
読み方:ぎけん室町時代の真言宗の僧。醍醐寺七四世・東寺長者一五六世。足利義詮の子。将軍足利義持の猶子。別称は後遍智院准后。山城醍醐寺の満済准后の下に得度して真言を学び、のち伝法灌頂をうける。以後、三宝...
読み方:ぎけん室町時代の真言宗の僧。醍醐寺七四世・東寺長者一五六世。足利義詮の子。将軍足利義持の猶子。別称は後遍智院准后。山城醍醐寺の満済准后の下に得度して真言を学び、のち伝法灌頂をうける。以後、三宝...
読み方:さんぽういん ぎえん江戸前期の真言宗の僧。醍醐寺八十世。東寺長者百八十九世。二条晴良の子。報恩院雅厳に就いて得度。大僧正に任じられ、准三宮の宣下を蒙る。寛永3年(1626)寂、69才。
読み方:さんぽういん ぎえん江戸前期の真言宗の僧。醍醐寺八十世。東寺長者百八十九世。二条晴良の子。報恩院雅厳に就いて得度。大僧正に任じられ、准三宮の宣下を蒙る。寛永3年(1626)寂、69才。
江戸中期の真言宗の僧。久我広道の子。鷹司房輔の猶子。号は法界心印。仁和寺蓮華光院に入り、出家、安井門跡となる。のち大僧正、東寺長者となる。狩野永納に画を学び、人物花鳥を得意とした。享保18年(1733...
読み方:そんしょうほうしんのう江戸前期の親王。後陽成天皇第5皇子。名は毎敦、謚号を仏母心寺。大覚寺で得度する。東寺長者に補せられた。二品に叙せられる。慶安4年(1651)薨去、50才。
読み方:そんしょうほうしんのう江戸前期の親王。後陽成天皇第5皇子。名は毎敦、謚号を仏母心寺。大覚寺で得度する。東寺長者に補せられた。二品に叙せられる。慶安4年(1651)薨去、50才。
読み方:まつなが しょうどう真言宗の僧。東寺長者二百五十一世。岐阜生。空広について出家、高野山大学林卒業後、高野山・東寺の大学や中学校で教鞭を執る。東寺執事・同寺事務長・東寺派管長を経て、大僧正となる...
読み方:まつなが しょうどう真言宗の僧。東寺長者二百五十一世。岐阜生。空広について出家、高野山大学林卒業後、高野山・東寺の大学や中学校で教鞭を執る。東寺執事・同寺事務長・東寺派管長を経て、大僧正となる...
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「東寺長者」の辞書の解説