高田和子
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高田 和子(たかだ かずこ、1950年(昭和25年)11月8日 - 2007年(平成19年)7月18日[1])は、山田流箏曲家、三絃奏者。和楽器の人材派遣玉手箱代表[1]。
注釈
- ^ 箏のレパートリーの大部分が合奏であるため、歌と三味線も習うことになっていた。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.180
- ^ 初リサイタルでは、一柳慧『臨界域』、福士則夫『円圏』が作曲家への委嘱作品。青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.180
- ^ 箏の西陽子、太棹の田中悠美子、笙の石川高、打物の神田佳子、企画・構成・一絃琴の高橋悠治、三絃の高田。高田和子「手本のない道―『糸』結成までの道程」『糸』フォンテック、1999年 ライナーノーツ所収
- ^ ≪手本のない道―「糸」結成まで≫何回目かの仕事を一緒にしたある日、詩人の藤井貞和より、製作途中の詩『糸』を贈られた。そのとき「おとは糸です、つたわるから」と言葉を添えられ、二つ折りの原稿を手渡された。髙田は言う。「糸は三絃の糸であり、人と人を結ぶ縁の糸でもある。詩人に詩を贈られたのは、この時が初めてだった」と。しばらくして、共に音楽を創っていく伝統音楽のグループを結成する事になった時、高橋悠治が、名前は「糸」にしようと提案した。高田がメンバー集めを担当した。すなわち、いつか一緒にやりたいと思っていた人達への呼びかけを始めた。つづけて言う。「編成より先にやりたい人で選んだ結果、良く言えばユニーク、悪く言えば無謀なバンドみたいなグループが、こうして誕生した。集まったメンバーは年令を越えて話ができる人達だ。好奇心旺盛で、悠治さんの仕事に興味を持っている。そして皆私と同じ手本のない道を、独自に切り拓いて来た人ばかりだ。」高田和子「手本のない道―『糸』結成までの道程」『糸』フォンテック、1999年 ライナーノーツ所収
- ^ 高橋悠治との共同制作。全体は5章にわかれ、第2章はサンプリングによる三絃に取り囲まれた三絃ソロ、第3章には詩人朝吹亮二の「水……」をテクストにした三絃の弾き語りで、コンピュータは4種のノイズをあしらう。「この作品を通して、私はいくつかの新しい体験をする事になる。まず一つはコンピュータとの掛合(応答形式による交互演奏)による即興演奏、それから歌詞のみでまったく音程の書かれていない歌にその場で節をつけるなど……。「『五十の手習』顚末記」より」青柳いづみこ『高橋悠治という怪物』河出書房新社、2018年 p.180
出典
[続きの解説]
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