長快 (熊野別当)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/06/13 08:57 UTC 版)
長快(ちょうかい、1037年 - 1122年)は、平安時代後期の熊野三山の社僧で、承保2年(1075年)に15代熊野別当に補任され、亡くなるまで48年もの長きにわたって熊野別当の地位にあったという[1]。
- ^ 熊野速玉大社所蔵『熊野別当代々次第』は、長快を11代熊野別当の快真(藤原実方の子である10代熊野別当の泰救の子)の長男であると伝えている。『尊卑分脈』によると藤原実方の子であると伝えている。
- ^ 『中右記』・『初例抄』など。阪本[2005: 189-190]。
- ^ 宮家[1992: 5-6]、小山[2000: 25]、阪本[2005: 33]。
- ^ 阪本[2005: 33]。
- ^ 『中右記』。阪本[2011: 119]。
- ^ 『熊野別当代々次第』・『初例抄』など。小山[2003: 304-305]、阪本[2005: 190]。
- ^ 『濫觴抄』・『初例抄』・『僧綱補任彰考館本』など。小山[2003: 305]、阪本[2005: 190]。
- ^ 阪本[2003: 385-386]。阪本[2005: 190-191]。
- ^ 範算と範尊は同一人物であろう。阪本[2003: 386]、阪本[2005: 191、210]。
- ^ 阪本[2005: 190]は、前者の記載内容そのものに矛盾点が見られるところから、保安4年説よりも後者の保安3年説を採るべきであるとしている。
- ^ 阪本[2005: 220]。
- 1 長快 (熊野別当)とは
- 2 長快 (熊野別当)の概要
- 長快 (熊野別当)のページへのリンク