柏原純一
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柏原 純一(かしわばら じゅんいち、1952年6月15日 - )は、熊本県八代市出身の元プロ野球選手(内野手)・コーチ、解説者・評論家・YouTuber。
- ^ a b スポーツニッポン 2022年3月6日 26面「柏原純一『我が道』(6)」
- ^ a b “【11月7日】1985年(昭60) 日本ハム・柏原、名簿に名前なし 100%トレード”. SPORTS NIPPON NEWSPAPERS. 2011年10月28日閲覧。[リンク切れ]
- ^ “「あぶさん」モデルの元南海・柏原純一氏も「BIG BOSSを描いてほしかった」と水島さん惜しむ”. Sponichi Annex. スポーツニッポン新聞社. (2022年1月17日) 2022年1月17日閲覧。
- ^ スポーツニッポン 2022年3月17日 20面「柏原純一『我が道』(16)」
- ^ 山崎武は乳幼児を火事から救出/メモ 2013年12月9日8時3分 日刊スポーツ
- ^ 前年の1980年にソレイタの5打席連続本塁打を阻止した時の投手が、左キラーの永射であったこともあり、通算打率が1割台で本塁打が0のソレイタの苦手意識は相当なものであった。
- ^ 打たれた永射はその当時は柏原と同僚で後に西武で同僚となる江夏豊にこの本塁打について指摘をされていたという。
- ^ 「サヨナラゲーム#敬遠球をサヨナラ安打」を参照。
- ^ 阪神新庄が敬遠球打った!ビックリサヨナラ打/復刻野球 : 日刊スポーツ、2016年6月12日閲覧。
- ^ 長嶋の場合は1960年7月17日に大洋戦(後楽園)で敬遠球を打ちランニング本塁打を記録。
- ^ 当時同僚だった田尾安志によると「オープン戦の終盤、東京での試合の前にミーティングで、監督が『何とか、この苦境を打開したい』とベテランに意見を求めた。最初に指名された掛布は『監督の考えが選手に伝わりにくい感じがします』と話した。新聞を通じてしか監督の考えを知ることが出来ない状況を述べたものだった。次に柏原さんが『ベテランでも、悪かったら叱って下さい』と言い、3番目に意見を求められた私は『勝つための野球をしてほしいです』と答えたところ、場が静まり返った」とのことだった。(日本経済新聞 2019年2月24日『球場が呼んでいる(田尾安志)首脳陣・フロントが押さえたい大物新人のトリセツ』より)
- ^ わがままの果ての迷走 「新庄引退」のカラ騒ぎ
- ^ 阪神、松井ヘッドら3コーチ解任へ、時事通信2001年10月8日
- ^ 野崎勝義著「ダメ虎を変えた!ぬるま湯組織に挑んだ、反骨の11年」朝日新聞出版、2011年、P72
- ^ 北海道日本ハムファイターズ公式サイト|2014コーチングスタッフについて
- ^ 北海道日本ハムファイターズ公式サイト|コーチ退任のお知らせ
- ^ 退団のお知らせ - 北海道日本ハムファイターズ・オフィシャルサイト 2017年12月27日
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