日欧文化比較
(日本覚書 から転送)
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『日欧文化比較』(にちおうぶんかひかく)は、イエズス会の宣教師ルイス・フロイスが1585年に著した小冊子。日本滞在中にフロイスが得た日本に関する豊富な知見をもとに[1]、日欧の間の文化的な差異を列記したもので「日欧文化相違の凡例集」と評される[2]。日欧の差異を主題として扱った文書としては最古の部類である[3]。
- ^ a b c d e 狭間 2015, p. 51。
- ^ a b 狭間 2015, p. 46。
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, pp. 3–4。
- ^ Girón, Avila ほか 1965。
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, pp. 6–7。
- ^ a b Fróis, Luís & 岡田章雄 1991。
- ^ a b 深草 2002, p. 25。(松田 & ヨリッセン 1983) のこと。
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 4。
- ^ a b Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 13。フロイスによる序文。
- ^ a b c d Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 5。
- ^ 吉田 1993, p. 56。
- ^ a b c 小野 2005, p. 99。
- ^ 狭間 2015, p. 48。
- ^ 大濱徹也. “ルイス・フロイスが見た日本”. 日本文教出版. 2017年3月26日閲覧。
- ^ アカデミア・デ・ラ・ヒストリア(Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 5)、王立史学士院(Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 199)、王立歴史アカデミア(内村 2015, p. 206)、史学研究院(狭間 2015, p. 51)などと表記される。
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, pp. 5–6。
- ^ a b Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 199。高瀬弘一郎による文庫版あとがき。
- ^ a b ヨリッセン 1998, p. 47。
- ^ ヨリッセン 1998, p. 46。
- ^ ヨリッセン 1998, p. 48。
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, pp. 9–10。
- ^ 山根 2009, pp. 17–18。
- ^ 山根 2009, p. 23。
- ^ “宣教師が驚くほど奔放だった、戦国時代の日本人の性観念!?”. 日刊大衆. 2017年3月26日閲覧。
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 39。教会で風俗矯正に尽力した結果、信者には処女を重んじる意識が根付いた。
- ^ 深草 2002, p. 17。
- ^ 小島宏. “書評:小島宏の気になる1冊その346”. 教育出版. 2017年4月2日閲覧。
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 70。
- ^ a b c 安藤達朗『いっきに学び直す日本史【合本版】』東洋経済新報社 。 コラムにて取り上げられたもの。
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 72。
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, p. 83。
- ^ a b c 吉田 1993, pp. 56–57。
- ^ 小佐々 2011, p. 422。
- ^ 小佐々 2011, p. 424。
- ^ 横田, 七野 & 上田 1973, p. 485。
- ^ 印刷で使った大文字でABCDEFGHILMNOPQRSTVXYZ。Iはiとjを含み、Vはuとvを含む(吉田 1993, p. 139)。
- ^ 安藤 1999, pp. 86–88。
- ^ a b 川添 1993, pp. 224–225。
- ^ 小野 2005, p. 104。
- ^ 小野 2005, p. 101。
- ^ ヨリッセン 1998, pp. 47–48。
- ^ ヨリッセン 1998, p. 48。「われらは親指または人差し指で鼻孔をきれいにする。彼らは鼻孔が小さいので、小指でそれをおこなう」
- ^ Fróis, Luís & 岡田章雄 1993, pp. 191–192; 解説として『人倫訓蒙図彙』の酒屋の図が示される(画像の右のページ)。
- 1 日欧文化比較とは
- 2 日欧文化比較の概要
- 3 脚注
- 日欧文化比較のページへのリンク