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原田芳雄
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/10 13:51 UTC 版)
原田 芳雄(はらだ よしお、1940年(昭和15年)2月29日※公称[注 1] - 2011年(平成23年)7月19日)は、日本の俳優、歌手。
注釈
- ^ 2012年に章代夫人の企画・監修によって刊行された『原田芳雄 風来去』では生年月日は1940年2月29日とされている。一方、当人がかつて語ったところによれば「生まれは昭和十六年、二月のね、二九日。それ、最近わかったんですよ。戸籍の上では、二八日になってんです」[1]。1940年(昭和15年)生まれならば没年は71歳、1941年(昭和16年)生まれならば没年は70歳。「旭日小綬章」決定を報じた当時の新聞記事では「戸籍上は70歳であることが判明した」[2]としており、これを踏まえるならば1941年生まれが正しいことになる。
- ^ 同期には夏八木勲、栗原小巻、竜崎勝、前田吟、林隆三、地井武男、高橋長英、秋野太作、浜畑賢吉、赤座美代子、太地喜和子、小野武彦、村井国夫、柴田侊彦、溝口舜亮などがいる。
- ^ 後年原田は、この時の様子について「後ろから袈裟固めを掛けられたような出会いだった」と語っている。
- ^ 石橋は、竜馬の友でありながら彼の命を狙う中岡慎太郎役を演じた。
出典
- ^ a b 原田芳雄『B級パラダイス:俺の昨日を少しだけ』KKベストセラーズ、1982年3月、28頁。
- ^ a b c “原田芳雄氏に「旭日小綬章」 政府が閣議決定”. スポーツニッポン (スポーツニッポン新聞社). (2011年8月10日). オリジナルの2011年10月12日時点におけるアーカイブ。 2021年12月18日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r s t u v w x y z 週刊現代2021年9月11・18日号「昭和の怪物」研究その135・原田芳雄「映画に取り憑かれた男」p25-32
- ^ 『週刊TVガイド』通巻548号(1973年3月30日発行)「原田芳雄に助命嘆願が殺到‼」
- ^ 『映画芸術』2011年秋号のインタビューで桃井かおりは文学座時代の松田優作が「抜け駆け」で原田芳雄の家に遊びに行ったとした上で、「忘れもしない、渋谷のNHKに行く交差点の横にメガネ屋があって、そこでレイバンのサングラス買ってね。その日から優作は原田芳雄になった(笑)」と語っている。それまでの松田優作は「もう少し田舎の青年ぽかった」という。
- ^ 『キネマ旬報』2004年9月上旬号
- ^ “原田芳雄”. ORICON NEWS (2011年7月20日). 2023年7月12日閲覧。
- ^ “原田芳雄が大腸がんで手術”. MSN産経ニュース. (2008年12月18日). オリジナルの2009年2月10日時点におけるアーカイブ。
- ^ “原田芳雄さん死去「竜馬暗殺」の個性派俳優”. サンケイスポーツ. 共同通信社. (2011年7月19日). オリジナルの2011年7月22日時点におけるアーカイブ。 2011年7月19日閲覧。
- ^ “俳優の原田芳雄さん死去、71歳”. 日刊スポーツ (2011年7月19日). 2023年12月20日閲覧。
- ^ “石橋蓮司、原田芳雄さんの遺志継ぐ次回作を約束”. Sponichi Annex (2011年7月23日). 2020年6月22日閲覧。
- ^ KINENOTE「オールタイム・ベスト10 日本映画男優・女優」
- ^ SANSPO.COM「闘病中の原田芳雄、車いすで涙のあいさつ」(2011年7月12日)
- ^ スポーツ報知「自宅で亡骸囲み酒宴 桃井かおりら50人笑って別れ…原田芳雄さん急死」(2011年7月20日)
- ^ 原田芳雄インタビュー「酔っぱいの与太話」(『牛王』通巻5号)
- ^ 「タモリ倶楽部」 2009年6月6日(土)放送内容 - 価格.com テレビ紹介情報
- ^ 番組エピソード 文豪の世界への誘い 〜大作家の作品のドラマ化〜 -NHKアーカイブス
- ^ 原田芳雄 - オリコンTV出演情報
- ^ 「CF撮影余話(キリンビール)」『近代企業リサーチ 7月10日』第708号、中小企業経営管理センター事業部、1994年7月10日、77頁、NDLJP:2652209/39。
- ^ “第35回日本アカデミー賞優秀賞発表!”. 日本アカデミー賞協会. 2012年3月3日閲覧。
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