バリー・ディラー
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バリー・ディラー(Barry Diller、1942年2月2日 - )は、アメリカ合衆国の実業家。
- ^ 1950年代半ば以降、映画会社の撮影所の権力は芸能エージェンシー、労働組合、銀行の前に弱体化した。エージェンシーは企画を立ち上げ脚本家、監督、俳優を揃えた。映画会社がこの「パッケージ」を実現するか否かは、銀行が融資をするかどうかにかかっていた。それまでは固まり(block)として半ば強制的に撮影所から割り当てて配給していた複数の映画が、反トラスト法による判決により、個別の商品として自由に(free)契約が成立した。慎重な銀行を納得させるには集客力のあるスターが出演する必要があり、肝心のスターはエージェンシーと契約するか独立プロを運営していた。
- ^ 当時のABC は三大テレビネットワークのなかでは加盟局は一番少なく、プライムタイム視聴率競争でも常に最下位にあった。ABC は1953年に、NBC から当時としては巨額の2500万ドルでレナード・ゴールデンソンが買収して発足、ゴールデンソンは30年以上経営に携わった。キャピタル・シティズのABC 買収には企業評価に厳しいウォーレン・バフェットも投資をした。
- ^ アトランタのテッド・ターナーは自社であるTBSの放送番組を衛星により全国のケーブルテレビ局に提供するスーパーステーションといわれる方式を採用。1980年に24時間ニュース専門チャンネル当時のCNNを創設した。
- ^ 60年代に株式市場で人気を集めたのはガ社のようなコングロマリットだった。自社よりPERの低い企業を買収し、一株当たりの価値を上げ買収合併を繰り返した。ブルードーンは傘下のパラマウント映画のテコ入れに人材を集めた。ロバート・エヴァンズはチャーリーのお気に入りだった。
- ^ ディラーが辞めた後だが、1986年にパラマウントは全米市場のシェア22%を占め、その年の興行収入ベスト10にパラマウント配給の五本が入った。
- ^ 弁護士出身。野外映画館を稼業とするナショナル・アミューズメンツを経営する家に生まれたサムナー・レッドストーン(1923~2020)が1986年に買収して以降、強い統率力により形成した企業集団。その戦略の柱はエンターテイメント重視にあり、ブランドイメージが確立したメディア企業を次々に買収し、相互を補完する形でコンテンツを様々なセグメントに伝送、配信している。80年代の米国ケーブルテレビ発展に貢献したバイアコムはラジオ、出版も含めるが、テレビ放送と番組の製作流通が中心事業。大原通郎『テレビ最終戦争』(2018年朝日新聞出版)では、レッドストーンも現在は90を過ぎて一線を退き、業績低迷、売上も大手メジャー最下位で、更にハリウッドのスタジオという既存メディアは傘下のケーブルテレビがネット配信事業者のため影響を受けているとしている。大戦中の兵役時代から評判の頭脳だったが晩年は痴呆の症状を呈していると噂があった
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