ジョンベル憲兵分隊事件とは? わかりやすく解説

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ジョンベル憲兵分隊事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/28 22:56 UTC 版)

ジョンベル憲兵分隊事件(ジョンベルけんぺいぶんたいじけん)は、1942年4月から1945年9月の間に、ジャワ島ジョンベルインドネシア語版ボトウオンインドネシア語版およびバニュワンギインドネシア語版で、日本軍の憲兵隊員が、被検挙者の拷問・虐待とそれによる致死、オランダ人女性への慰安所での売春の強制などの戦争犯罪を犯したとして、1948年にオランダ軍バタビア法廷で裁かれた事件。[1]


  1. ^ この記事の主な出典は、茶園 (1992, pp. 115-116)および坂 (1968, p. 21)。
  2. ^ 茶園 (1992, pp. 115-116)。同書には18人の氏名があるが、このうち実松勇雄憲兵軍曹は1948年3月15日にスラバヤで自殺、審理未了のまま東ジャワに移送された、とされている。坂 (1968, p. 14)では16人で、和田郁重憲兵大尉以下9人がジョンベル憲兵隊、今野勝弥憲兵中尉以下7人がバニュワンギ憲兵隊の所属とされている。
  3. ^ 坂 (1968, p. 14)。茶園 (1992, pp. 115-116)では名前を「都重」としている。
  4. ^ 茶園 (1992, pp. 115-116)。日本の軍法会議により公権を剥奪されていた(同)。坂 (1968, p. 14)では「憲兵軍曹」。
  5. ^ 茶園 (1992, pp. 115-116)。降等して一等兵曹(同)。坂 (1968, p. 14)では「憲兵軍曹」。
  6. ^ a b c 茶園 1992, pp. 115-116.
  7. ^ 茶園 (1992, p. 112)、坂 (1968, p. 14)。後者では和田は「5年」。
  8. ^ 茶園 (1992, p. 115-116)。うち半沢勇憲兵曹長について公報では同年9月26日付(同)。


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