地図測量人名事典 |
アフマメーチフ(?-?)
ロシア陸軍大尉、天文学者、日露国境画定ロシア側天文学者。
樺太における日露国境画定に際してロシア側技術責任者(天文観測主任)として参画した。
明治37年(1904)に起きた日露戦争の後、講和会議がアメリカのポーツマスで開かれ、ポーツマス条約が締結された。条約では、樺太(現サハリン)の北緯50度以南が日本に割譲されることが決定され、明治39年(1906)現在も小樽市に現存する旧日本郵船小樽支店二階の会議室に日露の国境画定委員が集合し、具体的な事業の実施について話し合われた。
この会議には、日本側は小惑星の族の発見で知られる東京大学平山清次教授、ロシア側も天文学者であったアフマメーチフ陸軍大尉が参加し、日露国境を天文測量で決定することが決められた。
ロシア側の測量は、アフマメーチフ大尉が責任者となり、カールバンベルヒ製35mm多能経緯儀を使用し、異星等高度法で実施された。日本側の測量は、陸地測量部の矢島守一測量師が責任者となり、カールバンベルヒ製66mm運搬子午儀を使用し、ホレボー・タルコット法によって実施された。
樺太における日露国境画定に際してロシア側技術責任者(天文観測主任)として参画した。
明治37年(1904)に起きた日露戦争の後、講和会議がアメリカのポーツマスで開かれ、ポーツマス条約が締結された。条約では、樺太(現サハリン)の北緯50度以南が日本に割譲されることが決定され、明治39年(1906)現在も小樽市に現存する旧日本郵船小樽支店二階の会議室に日露の国境画定委員が集合し、具体的な事業の実施について話し合われた。
この会議には、日本側は小惑星の族の発見で知られる東京大学平山清次教授、ロシア側も天文学者であったアフマメーチフ陸軍大尉が参加し、日露国境を天文測量で決定することが決められた。
ロシア側の測量は、アフマメーチフ大尉が責任者となり、カールバンベルヒ製35mm多能経緯儀を使用し、異星等高度法で実施された。日本側の測量は、陸地測量部の矢島守一測量師が責任者となり、カールバンベルヒ製66mm運搬子午儀を使用し、ホレボー・タルコット法によって実施された。
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