アッシリアのライオン型分銅とは? わかりやすく解説

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アッシリアのライオン型分銅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/26 02:13 UTC 版)

アッシリアのライオン型分銅(アッシリアのライオンがたふんどう)は、古代アッシリアおよびその周辺地域における考古学調査によって発見された、青銅製ライオン像の一群である。


  1. ^ British Museum Collection
    (大英博物館収蔵品。キーワードに「Copper Assyrian lion weight」を指定して検索のこと。)
  2. ^ Taylor 1883, p. 133「前8世紀後半のアッシリア王たちの名前が刻まれたニムルドの分銅、コルサバドのサルゴン2世の宮殿で発見された彫刻されたスカラベ、レバノンのバアル神殿に奉納されたシドンの王ヒラム(Hiram)の名前が刻まれた青銅の器は、碑文学的にメシャの碑文と同時代またはその前後の時代のものである。」
  3. ^ Norris 1856, p. 215.
  4. ^ Rollston 2006, p. 503「アラム語草書体(the Aramaic cursive script)の実例として重要な史料には、ハマトのレンガ(the Hamat bricks)、ニネヴェのライオン型分銅、ニムルドのオストラコンなどがある(全て前8世紀に年代付けられる)。」
  5. ^ Rawlinson 1865, p. 243「これらの粘土板と印章について私のノートを結論付ける前に、我々が持つフェニキア語文書の最古の例を観察しよう。全ての中で最古のものとして選び出すべきは、大英博物館のライオン型分銅の銘である。その中の一つは明確にティグラト・ピレセル2世(在位: 前744年 - 前726年)の治世に年代付けられる。別の分銅にはシャルマネセル、サルゴン、センナケリブといった王たちの名前がある。」
  6. ^ Layard 1849, pp. 46–47「苦労して石像を持ち上げると、その下から大きさ順に規則正しく並んだ素晴らしい出来栄えの16個の銅のライオンを発見した。最大のものは1フィートあまり、最小のものは1インチあまりであった。それぞれのライオンの後ろにはリングがついており、分銅のように見える。同じ場所には土製の容器(vase)があった。これには鳥の翼と爪、女性の胸、サソリの尾を持つ人物が2名描かれていた。」
  7. ^ Madden 1864, p. 249.
  8. ^ Chrisomalis 2010, p. 71.
  9. ^ Metzger & Coogan 2004, p. 285.
  10. ^ British Museum collection
    (『分銅』(大英博物館))
  11. ^ Louvre Collection
    (ルーブル美術館収蔵品)
  12. ^ セム語碑文コーパス II 1, p.1-2: 「1853年、かのレヤードは、ニムルドと呼ばれる場所でニネヴェの遺跡を発掘していたとき、一連の16体の銅像を発掘した。その銅像は、アッシリアの宮殿の基礎に、雄牛の胴体と人間の頭を持つ有翼の怪物の巨大な像の下に置かれていた(レヤード、『ニネヴェとその遺跡』、I、128)。それらが発見された場所は、これらの分銅が何らかの神聖な儀式によって地面に置かれたことを物語っており、それらはアッシリア人の間で、基準としての分銅と同じように使われていたことが推測できる。それらは四角い台座の上に横たわるライオンの形をしていて、背中にはリングが取り付けられている。表1には、そのうちの1つ (No. 2 を参照) が太陽によって表されている画像があり、そこからすべてのライオンの形を知ることができる。像の側面と底面にはアッシリア文字またはアラム文字で書かれた碑文が刻まれており、それによってそれぞれのライオンの体重と、当時、統治していた王の名前を知ることができる。ここから、紀元前727年から紀元前681年頃まで権力を掌握していたアッシリアの王、シャルマネセル、サルゴン、センナケリブの名前が判別できる。称号と分銅を研究した専門家によって、ライオンは2つのグループに分けられ、一方のグループはもう一方のグループの2倍の重さで区別されることがわかった。したがって、アッシリアの1タラントが60ミナ、または30の重いミナ(2ミナ)に分割されたことは明らかである。ミナはさらに60ドラクマに分割された。これから話すアラム語の単位は、ミナム...そしてドラクマ...シェケルと呼ばれる。これらについて学者として最近書いたオッペールによると、これらの分銅は、多かれ少なかれフランス語のグラム単位で次のように表現される可能性がある...」
  13. ^ Mitchell 1973, pp. 173–175.
  14. ^ Calvert 1860, pp. 190–200.
  15. ^ Lampre 1905.
  16. ^ Pottier 1924, p. 143「実際のところ、発見された状況からすると、コルサバードのライオン像には、分銅以外の目的があったに違いない。ライオン像の上の壁の中にもう1つの青銅の指輪が封印され (178ページを参照)、鎖がライオン像の輪とその指輪をつないでいた。まるで番人のように、壁の前で青銅のライオンが鎖でつながれていたのではないかと、ボッタは想像した。 」
  17. ^ de Longpérier 1854, p. 50「この素晴らしい像は、私たちに遺された最も美しい古代の美術品の一つである。ドアの上に吊すベールの紐の端を通すリングの土台と装飾としての役割以外に目的がなかったように見える。このライオンを動かすことはできなかった。底部には封印のピンがある。したがって、ニムルドで発見された、楔形文字やフェニキア文字の碑文が刻まれている青銅のライオンとは同一視すべきではない。これらの遺物は、分銅の役割を果たしていたと考えられている。コルサバドのライオンに関して言えば、それは確かに一般的な門のシステムに属していた。というのも、それぞれに、像を固定する封印石が発見されたからである。」
  18. ^ Pottier 1924, p. 143


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