山岡景助
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山岡 景助(やまおか かげすけ、寛永元年(1624年) - 宝永2年4月8日(1705年4月30日)[1][2])は、江戸幕府の旗本。通称は十兵衛、幼名は愛蔵・弥五兵衛。官職は従五位下、対馬守[1][2]。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『新訂 寛政重修諸家譜』第十七 株式会社続群書類従完成会、353頁。
- ^ a b c d e f g h i j k 釣洋一著 『江戸刑事人名事典 火附盗賊改』 新人物往来社、180-181頁。
- ^ 『新訂 寛政重修諸家譜』では、天和元年となっているが、旧暦の年月日を換算して、『江戸刑事人名事典 火附盗賊改』に書かれた延宝9年とする。
- ^ 木村直樹著 『長崎奉行の歴史 苦悩する官僚エリート』 角川選書、93頁。
- ^ 原著:エンゲルベルト・ケンペル、訳注:B・M・ボダルト=ベイリー 『Kaempfer's Japan: Tokugawa Culture Observed』、149頁。
- ^ 「処罰が犯罪に見合うようにするために」ベアトリス・M・ボダルト=ベイリー著 『犬将軍 綱吉は名君か暴君か』 柏書房、271-275頁。
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