【無料公開】戸塚ヨットスクール戸塚宏校長、徳田虎雄との出会い……長谷川岳の素顔とは

徳田虎雄氏(左)と戸塚宏氏(戸塚氏は共同提供)

 航空機内で「横柄な態度」を取ったとして“炎上”中の参院議員・長谷川岳氏。手がける政策に力が入るあまり、さまざまな“やりすぎ”事案を引き起こしてきた長谷川氏の素顔とは。

 長谷川氏は1971年生まれ、愛知県出身。県立千種高校卒業後、北海道大学に進学。在学中、高知医科大学に入院していた母親を見舞った際、当地の「よさこい祭り」を見て衝撃を受け、91年12月に仲間らと「YOSAKOIソーラン祭り」の実行委員会を立ち上げた。翌年6月には学生だけで第1回の祭りを開催。その後も回数を重ねるごとに、創始者としての長谷川氏の知名度は高まった。

 96年には無所属で衆院北海道1区から出馬し落選。2009年にも再度道1区から自民党公認で出馬したが、いずれも現職の横路孝弘氏の壁を越えることはできなかった。

 長谷川氏が道内政治の表舞台に踊り出たのは翌10年の参院選。当時の民主党政権下で現職や道議会議員などに比べ、定着したYOSAKOIブランドで知名度に優り、都市部で票が見込めるというのが理由だった。

 長谷川氏はその期待通り、都市部で民主党候補を上回る約95万票を獲得しトップ当選(定数2)。その後も16年、22年と期数を重ね現在に至っている。

 1期目途中の14年9月に総務大臣政務官、2期目途中の19年9月からは当時の安倍晋三政権のもと、第4次安倍第2次改造内閣で総務副大臣に就任。翌20年にコロナ禍が訪れると、対応のための補正予算でいわゆる「5G」対応の光ファイバー敷設補助金のほとんどを道内自治体に引っ張るなど実績を積んだ。

 その一方、写真週刊誌に女性との不倫スキャンダルが掲載。自身のブログでは「(配偶者とは)別居状態が3年7カ月続いており、この間、離婚調停において、離婚に向けた協議が1年3カ月続いている状態です」と釈明した。

 また自民党では先の裏金問題で解散した安倍派所属だが、派閥とのつながりは薄く、キックバックは受け取っていなかった。現在は地方創生及びデジタル社会の形成等に関する特別委員会委員長を務めている。

 そんな長谷川氏を語る上でかかせないエピソードが2つある。1つは苛烈なスパルタ式訓練で知られた「戸塚ヨットスクール」との接点だ。

 長谷川氏の父は同校校長の戸塚宏氏の後援者で、長谷川氏自身も小学生のころ、兄とともに体験入学した経験を持つ。生徒を体罰死させた戸塚氏が逮捕、起訴された後は、中学生だった長谷川氏も裁判の傍聴をしたという。

 本誌財界さっぽろでは09年衆院選で道1区の公認候補となる直前にインタビューを実施。その際、長谷川氏は戸塚氏や自らの体験入学について「人間は本当の危険にぶつからないと、本能的な危機管理の力は育たないと思う。いろんな批判は受けても、私は筋の通った意見だと思います」と語っている。

 もう1つが大手病院グループ・徳州会創始者で元衆院議員の徳田虎雄氏との出会いだ。長谷川氏の母が最初に入院した先が名古屋市内の徳州会病院。そこで徳田氏の著作を読んで感銘を受けたという。北大での学生勉強会に徳田氏を講師として招いたのが接点となり、その後も年末年始には必ず徳田氏に面会していたのだという。

 長谷川氏は前出のインタビューで「運動を盛り上げていくには、自分自身の活動量がだれよりも優っていないといけないと徳田さんから教わった」と本誌に語っていた。

 当サイト別記事の通り“やりすぎ”事案に事欠かない長谷川氏だが、長谷川氏の後援会幹部は1年ほど前、本誌記者にこう話していた。

「やりすぎとは誰からもよく言われているところで注意することもあったが、最近は落ち着いてきた。いたらないところはあるが、北海道のためにすべきこと、道内の政策課題に対して長谷川さんにやってもらわないといけないことが多く、ほかの代議士にはない行動力があるのも事実だ」

 本誌記者は長谷川氏本人にもかつて“やりすぎ”を問うたことがある。その際は「それはよく言われてますし、反省するところです」と苦笑いしていたものだが……。当サイト別記事の通り、今後も本誌では長谷川氏のさまざまな事案を取り上げていく予定だ。

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