【江尻良文の快説・怪説】
NPBアンチ・ドーピング調査裁定委員会(斉藤惇委員長=コミッショナー)からアンチ・ドーピング違反で「9月3日から20年3月2日まで、6カ月間の出場停止処分」を科された広島・バティスタ。
球団側は「ドミニカ共和国に帰国した。こっちにいてもやることがない。向こう(カープアカデミー)の施設を使うこともできない」、「(来季は)契約するかしないかわからないと伝えてある」としている。今季で6年契約の3年目が終了したばかりだ。
「NPBの処分は軽すぎる。メジャーのように試合数で出場停止処分を区切らないと意味がない。バティスタの出場停止は事実上、(シーズンオフを挟んでいる分)1カ月に過ぎないじゃないか」と処分の甘さを指摘する声も噴出している。
しかし、過去には禁止薬物使用に関して厳格なコミッショナーもいた。1986年5月8日から88年6月27日までコミッショナーを務めたが、健康問題のため任期途中で辞任した竹内寿平氏だ。
西武が87年の春季キャンプに参加させた元ドジャース左腕エースのスティーブ・ハウに対し、毅然とした対応を貫いた。禁止薬物のコカイン使用常習歴があることで「絶対に入団を認めない」と断言。痩身で鶴を思わせる竹内コミッショナーの、まさに鶴の一声だった。なんとかハウを入団させようと画策した西武の思惑を一刀両断した。
「メジャーリーグでは禁止薬物を使用しても、なんとか更正させようという考え方があり、実際に更正施設へ入れて立ち直らせようとしているケースがあることは知っている。が、日本では事情が違う。禁止薬物使用に対しては厳格な考え方があり、一度使ったら常習化する可能性が高いので、絶対に受け入れられないという世論がある」
こう高らかに宣言し、西武のハウ獲り工作を一刀両断したのだ。派閥抗争の激しい検察界で公正中立を貫いたクリーンさを評価され、検事総長になったといわれている伝説の人だ。
筆者はハウ問題に関してコミッショナー事務局だけでなく、個人的な弁護士事務所を何度も訪れ取材したが、いつも丁寧に対応してくれて、全くぶれない信念の人だった。前コミッショナーで球界から反社会的勢力一掃に全力投球した熊崎勝彦前コミッショナーも同じ検察畑出身だった。
現在の斉藤コミッショナーは「今の時代は法曹界出身でなくビジネスのわかる財界人出身のコミッショナーが必要」というパ・リーグのオーナーを中心とした待望論から誕生している。
だが、球界の現実を見れば、法曹界出身のコミッショナーの存在価値は変わらず、その重要性は少しも減じていない。(江尻良文)