〈3〉木彫家 貝澤徹さん

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アイヌ彫刻 生き方問う

※原中直樹撮影
※原中直樹撮影

 アイヌ民族の伝統的な木彫りに自身の独特な感性をにじませた創作を続ける貝澤徹さん(64)は、国際的にも高く評価されている木彫家です。地下鉄さっぽろ駅「ミナパ」にあるシマフクロウのオブジェなどの作品で知られる貝澤さんを、平取町二風谷の工房に訪ね、創作の原点となったエピソードや独創的なアイヌアートへの思いを聞きました。

(聞き手 読売新聞北海道支社長平尾武史)

 ◆人と違う表現

 平尾 貝澤さんは様々な作品を制作されていますが、布がめくれるような表現のイタ(盆)が、とくに気になっています。

 貝澤 あれは2001年に「アイヌ文様」が北海道遺産に選定された時、札幌の赤れんが庁舎で行われた実演彫りで初めてやってみたんです。他の職人とは違うことをやりたいと思っていた時期だったので、来場した女性から「斬新ですね」と声をかけられ、「自分がやろうとしていることは間違っていないな」と自信が持てました。

 平尾 なぜ、人と違うことをしたかったのですか。

 貝澤 アイヌ工芸の展覧会があると、たいてい明治から昭和までの先人が作った作品を中心に歴史資料のように紹介されます。そのことにずっと違和感を持っていました。現代だって鑑賞に堪えられるものを作っていますよと訴えたかったんです。

 平尾 父親の後を継いで、木彫りの道に入ったのはどうしてですか。

 貝澤 子供の頃から、父親や親戚が木彫りの土産物を作っているのを見ており、自分もできるんじゃないかと思っていました。父は違う仕事をしてほしかったようですが、実家に戻ってくるなら仕方がないと認めてくれました。

 平尾 希代のアイヌ木彫家藤戸竹喜さんの作品を見て刺激を受けたそうですね。

 貝澤 高校を卒業して地元に戻って間もなくの頃、藤戸さんが祖母を訪ねてきて「孫に見せてあげなさい」と小さな木彫り熊をくれたんです。足の裏の肉球まで表現するなどものすごく写実的でした。すぐにまねをして作ってみたものです。「すごい人がいる」と憧れていましたが、それから20年ぐらい、まともに話ができませんでした。

 平尾 きちんと話せるようになったのはいつ頃ですか。

 貝澤 1998年に札幌の芸術の森美術館で、弟(幸司さん)と兄弟展をしました。藤戸さんが見に来てくれて、何点か買ってくれました。やりがいを持たせてあげようと思ったんでしょうね。兄弟で作品を納めに行き、それから話せるようになりました。

 ◆反発やめ受容

 平尾 当初は、アイヌ文様を彫るのを避けていたそうですね。

 貝澤 アイヌなんだからアイヌ文様を彫るべきだという空気への反発ですかね。アイヌだからと言って、アイヌのものを彫らなくてもいいじゃないかと思っていました。アイヌ文様を彫り始めたのは30歳を過ぎてからです。

 平尾 何か、きっかけがあったんですか。

 貝澤 地元でアイヌ工芸のシンポジウムが開かれることになり、それまで表に出したことのなかった曽祖父ウトレントクのイタを持っていったんです。アイヌ文化に精通していた貝澤貢男さんが真剣に見ている姿を見て、いつまでも反発しているのは、おかしいなと気づいたんです。

 平尾 内面性を表現した「アイデンティティ」シリーズはその後の作品ですね。

 貝澤 ええ。「アイデンティティ」(自己同一性の意味)はまさに自分の思うイメージそのままです。最初に作った「アイデンティティ」は、ファスナーの隙間からアイヌとしての精神を表すアイヌ文様が見えるように彫っています。ファスナーを上げて(アイヌ文様を隠し)日本人として生きている人。ファスナーを下げ、民族衣装は着ていないけど私のようにアイヌとしてのアイデンティティを持っている人。白老町のウポポイ(民族共生象徴空間)で働いている若者たちのようにアイヌとして生きている人もいます。あなたはこの三つの選択肢のうちどの生き方ですか?と仲間に問いかけた作品です。

 平尾 大英博物館など海外でも高く評価されています。

 ◆海外でも評価

 貝澤 2018年にロンドンで大英博物館の日本文化担当者と会った時に現代の作品も展示したいと話しました。それが、フクロウが卵から 孵化ふか する「ケウトゥムカンナスイ/精神再び」という作品の展示につながりました。ウポポイを開設するなど、政府がアイヌ文化に目を向けてくれた時期で、若い人たちがアイヌ文化の仕事に携わるようになりました。そんな時代が来たということを作品として残そうと思いました。

 今は、英オックスフォード大学のピットリバース博物館の依頼で、お盆の上に私の子どもたちと孫の手がのっている「UKOUK(ウコウク)/輪唱」という作品を制作中です。入れ墨を入れた近所のおばあさんの手を思い浮かべ、文化は「輪唱」のように続くという思いを込めた作品です。

 平尾 北海道の魅力を発展させる上でアイヌ工芸の役割をどう考えますか。

 貝澤 北海道の特色として私たちを活用してほしいと思います。今は漫画「ゴールデンカムイ」などの影響もあってアイヌ文化の魅力が再認識されつつあります。木彫りの技術を磨くには年月がかかるので、地元の平取町が担い手事業で職人を育てようとしています。僕が実家に戻ってきた時のように、今の若い人にとって、この仕事が魅力ある方向にいけばいいと願っています。

 【かいざわ・とおる】 平取町生まれ。北海道日大高(現北海道栄高)卒業。1976年、家業の木彫りを始める。89年、北海道アイヌ伝統工芸展で知事賞。2018年、大英博物館に常設展示。20年、国立アイヌ民族博物館に「アペフチカムイ」が展示された。

【対談を終えて】

葛藤超えて 強い自負と愛

平尾支社長(右)と語り合う貝澤徹さん
平尾支社長(右)と語り合う貝澤徹さん

 仕事場には、力強くて生き生きとした熊や独創的なイタなどが所狭しと飾られている。目を奪われたのは、それだけではない。作品を生み出してきた様々な彫刻刀やのみにも圧倒された。柄の部分にはアイヌ文様も刻まれている。私事だが、趣味で仏像を彫ることがあり、貝澤さんは「自分で彫る人は、自然と道具に目がいくみたいですね」と笑顔だった。

 アイヌ彫刻界の最高峰として国内のみならず、ロンドンの大英博物館に常設展示されるなど、海外の評価も極めて高い。実際に作品を拝見しながら話を伺っていると、伝統的な手法と現代的な感性の融合こそ、貝澤作品の真骨頂だと改めて実感した。今の域に達するまでには、民族をあからさまに表現することへの葛藤もあったという。温和な表情の裏に隠れたアイヌとしての強い自負と深い愛をひしひしと感じた。

 棚の一つに並べられた道具は「若い頃、作品を気に入ってくれた鍛冶職人の子孫の方が遊びにくるたびにプレゼントしてくれた」そうで、「僕は人に恵まれているんですよ」とちゃめっ気たっぷりに話す。多様性が尊重される時代となり、周囲に受け入れられるムードが醸成されつつあると語り、「若い人たちも戻ってやりたいと言ってくれている」とうれしそうだった。その人柄はもちろん、木彫りの素晴らしさや奥深さを再認識した対談だった。

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3714972 0 支社長対談 2023/01/18 05:00:00 2023/01/18 13:40:33 2023/01/18 13:40:33 https://www.yomiuri.co.jp/media/2023/01/20230118-OYTAI50007-T.jpg?type=thumbnail

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