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期待されていた植物学教室
――大窪昭三郎(演:今野浩喜さん)のモデルになったと思われる大久保三郎は、東京府知事の大久保一翁(1818~88)の息子ですよね。ドラマでは父親が旧知の勝海舟(1823~99)に頼んで東京帝大にコネで入ったことを万太郎に告白するシーンがありました。
あれは『らんまん』のオリジナルです。史実では、勝は「一翁が息子の就職の相談に来た」と日記に記しているものの、口利きをしたとしても、それは東京帝大に入る時ではありません。大久保は英米に留学して植物学を学び、知識を買われて植物学教室の助手になっています。
ドラマで大窪は、ドイツ留学から戻った細田晃助(演:渋谷謙人さん)に教授の座を奪われてしまいます。史実では、三好学が先輩の大久保を押しのける形で教授になり、居場所がなくなった大久保は矢田部と同様に東京高等師範学校に移っていますから、矢田部の派閥の一員とみなされたのかもしれません。その後、大久保は教科書の
――明治の日本は欧米に追い付こうと必死でしたが、工学や農学、商学などと違って、植物学は富国強兵、殖産興業には縁遠い学問です。ドラマに登場する波多野泰久(演:前原滉さん)や藤丸次郎(演:前原瑞樹さん)は、他の学部の学生に劣等感を抱いていたようにも見えましたが。
東京帝大の植物学教室は工学、農学より古く、東京大学創設当時からの歴史があるので、学生に負い目はなかったと思います。西洋式の近代教育の普及を急いでいた明治新政府は、分野に関係なく近代的な中等教育を担える教師を必要としていました。植物学教室の学生が引け目を感じていたことはなく、むしろ西洋の学問を日本に根付かせるため、自分たちの研究は大事だという意識があったと思います。実際に富太郎が東大を訪ねた頃にともに学んだ学生は、大きな研究成果をあげています。大久保も含めて、その後は教職についた人が多いのも、東京大学に教師育成の役割が期待されていたことの表れでしょう。
南方熊楠には会おうとしなかった
――長屋の住人だった堀井丈之助(演:山脇辰哉さん)のモデルと思われる人物は、小説家、翻訳家の坪内逍遥ですね。
富太郎は植物図鑑、坪内はシェークスピア全集の完成をライフワークにしていて、坪内は若い頃、ドラマの中で寿恵子が愛した『南総里見八犬伝』の著者、滝沢馬琴(1767~1848)に心酔していました。
坪内が富太郎と同じ長屋に住んでいた、なんて実際にはなかった話ですが、脚本家の長田育恵さんは視聴者にドラマを楽しんでもらいたいと考えたのでしょう。長田さんは早稲田大学文学部を卒業し、演劇の脚本も多く手がけていますから、早大で文学を教えた坪内への敬意を込めたのかもしれません。
――本人は登場しませんでしたが、ドラマでは終盤で南方熊楠(1867~1941)との交流も描かれました。
南方は神社
南方が富太郎にハチクを送って交流しようとしたのは史実ですが、富太郎は南方に会おうとしませんでした。これはドラマが描くように東京帝大に迷惑をかけないためではなく、民俗学などにも手を出す南方を植物学者と見ていなかったからだと思います。
南方が反対した合祀令は地方改良運動の一環として行われました。合祀によって神社が立つ土地の権利関係を整理して課税不能な土地を減らし、税収増につなげる狙いがあったのですが、期待された効果が上がらないまま中止されています。