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夫婦別姓に同性婚……。課題は山積みだけれど、その前に知るべき「結婚の不都合な真実」。【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.11】

性差別のない21世紀をみんなで実現するために、フェミニズム研究者の清水晶子先生を講師に迎えて、改めてその歴史や意義を正しく学ぼうという本連載。連載11回目のテーマは結婚(婚姻)。夫婦別姓や同性婚など、婚姻をめぐる諸問題は常にホットトピックではあるけれど、そもそもフェミニズム的視点から見た「結婚」とは何なのか? 
夫婦別姓に同性婚……。課題は山積みだけれど、その前に知るべき「結婚の不都合な真実」。【VOGUEと学ぶフェミニズム Vol.11】
Tim Graham Photo Library via Getty Images

「同性婚を認めないのは違憲」はなぜ画期的か。

最近、婚姻(結婚の法律上の用語で、正規の法律上の手続きを経て夫婦関係を結ぶこと)をめぐってさまざまな大きな動きがあります。例えば、離婚後300日以内に生まれた子どもを前夫の子とする「嫡出推定」に例外を設けて再婚後に出生した場合は再婚夫の子どもとすることや、女性に離婚後100日以内の再婚を禁止する「再婚禁止期間」を撤廃することなどを盛り込む、民法等の改正に関する中間試案が提出され、検討されることになりました。また、「夫婦が同氏でなくてはならない」と定めた民法を改正しようという「選択的夫婦別姓」をめぐる議論も盛り上がっています。そして2021年3月17日に札幌地裁が「同性婚を認めないのは違憲」とした判決も大きな関心を集めました。

札幌地裁は、同性婚を法的に認めないことは憲法第14条で定められた「すべての国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において差別されない」という平等権を侵すものだと判決を下しました。判決では、性的指向は自らの意思にかかわらず決定される個人の性質であるとして、いかなる性的指向の人も「享有しうる法的利益に差異はない、と言わなければならない」としました。異性間の関係に対しては提供されている婚姻という制度が同性間の関係については認められないのは「合理的根拠を欠く差別取扱いに当たる」とした点で、この判決はとても重要なものです。

ストーンウォールの反乱の翌年、1970年にミネソタ州で婚姻の申請をしたジャック・ベイカー(左)とマイケル・マコーネル。二人はアメリカにおいて初めて法的に婚姻を結んだ同性のカップルとして知られる。Photo: PETE HOHN/Star Tribune via Getty Images

とはいえ、同性婚や選択的夫婦別姓は、フェミニストの間でも論議を呼び意見が分かれるアンビバレントな問題でもあります。なぜか? それは、婚姻制度の運用における問題と、婚姻制度それ自体の問題、その両方がかかわってくるためです。

つまり、婚姻という制度の運用における問題、例えば夫婦別姓を選択することが認められないとか、同性間では婚姻制度を利用できないとかが、婚姻をしている/望む当事者たちにとってはとりわけ切実な、重要な問題であることは、間違いありません。婚姻制度の差別的な運用は、是正されなくてはならないのです。

けれども同時に、婚姻制度を前提とした運用上の問題に取り組むことで、フェミニストたちが長年指摘してきた婚姻それ自体の問題──婚姻は家父長制的で性差別的な制度である、ということ──から人々の目が逸れてしまうかもしれない、という懸念もまた、繰り返し表明されてきました。

婚姻制度の根幹に潜む女性差別を知ろう。

1981年7月29日、チャールズ皇太子と故ダイアナ元妃の盛大な結婚セレモニーが世界に報じられた。Photo: Terry Fincher/Princess Diana Archive/Getty Images

「え? 結婚って人をハッピーにするものじゃないの? それが女性差別的ってどういうこと?」と意外に思われるかもしれません。私たちは今なお、愛する人と結婚して家庭を築き、かわいい子どもにも恵まれ幸せに暮らしました、という物語がメディアにあふれ、「結婚=ハッピー」が前提とされる文化に生きています。そういうおとぎ話は、婚姻が女性に対して差別的だったり女性を抑圧したりする制度でもあることを、見えにくくしてしまいます。しかし、婚姻制度のどこがどのように女性にとって差別的であるかを知っておくことは、現代社会で女性が個人としての権利と自由をしっかり確保して生きていくためには絶対に必要です。それでは、婚姻というシステムが歴史的にどのように成立して運用されてきたか、そしてどのように女性にとって差別的で、どう変えていかねばならないのかを見ていきましょう。

婚姻を定義することは、地域や宗教や時代によってさまざまな形や考え方があって大変むずかしいのですが、少なくとも近代社会における婚姻制度は、男性と女性の性的な関係を特別なものとして法律的に認め、次世代を再生産するための家族を形成する役割を担っている、と考えられます。つまり婚姻は世代をつないでいくものとして機能してきました。

ホモソーシャルな社会における“媒介”とされた女性たち。

政略結婚がより可視化された戦国時代。他の多くの武家の女性同様、織田信長の妹「お市の方」の結婚も、兄や豊臣秀吉の政治の“駒”として機能した。Photo: 浅井長政夫人像(高野山持明院所蔵)

世界の広い地域で見られる家父長制社会では、家父長同士、また家父長と下位の男性との社会的、経済的、あるいは心理的な繋がりを築いていく上で、女性を媒介として利用してきました。わかりやすいところでは富の結合や争いごとで味方を作るための政略結婚があります。あるいは、年長の男性が、将来有望な臣下や部下、弟子などに「娘をやる」ことを通じて、若い男性の忠誠や敬意を確認する、ということもあったでしょう。いずれにしても、ここでは女性の意思は置き去りにされがちで、男性同士がお互いの利益のために女性をやりとりすることになります。婚姻とはこのような「女性の交換」を制度化したものだった、とも言えるでしょう。

第二次世界大戦後の1947年制定された日本国憲法の24条は、このような「女性の交換」の制度としての婚姻からの離脱、という文脈で理解することができます。この憲法では、女性の個人としての尊厳を尊重し、相手を自由に選ぶ権利と、配偶者と平等な権利を有していることをはっきりとうたっています。つまり、「婚姻は、両性の合意のみに基づいて成立し、夫婦が同等の権利を有することを基本として、相互の協力により、維持されなければならない」と定めた24条は、女性を交換する家父長同士、家同士の利益ではなく、たがいに平等な本人たちの自由な意思を婚姻の根幹とする、と宣言したのです。

扶養控除が女性の貧困を助長する、という現実。

日本の男女における賃金格差は1990年代後半が最大ではあるものの、2019年時でもその差には一貫して大きな隔たりがある。独立行政法人 労働政策研究・研修機構が発表した男女賃金格差のデータより。資料出所: 厚生労働省「賃金構造基本統計調査」

しかし21世紀にいたっても、家父長制を前提とした婚姻観、家族観は根強く残っています。妻は家庭で再生産労働を担い、夫は家庭外で生産労働を担うという性別による役割分担意識も日本ではまだ強く、「家族を養っているのは自分」という発想から家事や育児に非協力的な夫も少なくありません。働く女性たちが家事も大半を担うワンオペで疲弊して悲鳴をあげていることもしばしばです。

税制上の配偶者控除やいわゆる第3号被保険者のような仕組みは、家庭内の再生産労働を無償で担っているために家庭の外での収入をそれほど得ることができない女性を助けるという側面ももちろんあります。けれども同時に、控除を受けられる収入の上限を設けることで、これらの仕組みは、婚姻制度を維持し、女性たちの労働を安価にとどめておく役割も果たしてきました。女性たちはえてして職場では補助的な仕事しか任せられず、昇進や昇給へのハードルは高く、男女間賃金格差は男性を100とした場合日本では74%と、主要先進国の中では最低レベルです。

それでも結婚生活がなんとかうまくまわっていて、夫婦ともにハッピーであればいいのですが、相性が悪かったり暴力をふるわれたりして別れたいと真剣に悩んでも、配偶者からの扶養に頼って生活している場合には、そう簡単に行かないこともあります。結婚して家庭に入った女性がもう一度社会に出て一人で自分や子どもの生活を維持していくだけの賃金を得ることは容易ではありませんし、婚姻関係を通じて与えられている社会保障が奪われてしまえば、それこそ生きていくこともむずかしくなるかもしれないからです。こういう現状からは、婚姻は女性を家父長制の支配下にとどめおく強力なトラップにもなり得る制度だ、と言えるかもしれません。

婚姻制度は大きなバグのあるシステムだ。

フェミニズムは、国家(または国家のアイデンティティと密接に関連した宗教制度)が個人と個人の親密な関係の特定のあり方を他と区別して承認する婚姻制度には大きな問題がある、と考えてきました。婚姻制度はしばしば、家父長制的な国家や教会が維持したい特定の関係に特別な権利=インセンティブを与え、それによってどのような親密な関係、どのような家族の形がそもそも可能であるのかに、介入する働きをします。けれども、個人が望む家族の形を、国家や教会が決めて管理するとしたら、それはこの講座でも何回も触れている性と生殖にかかわる健康と権利(リプロダクティブ・ヘルス/ライツ)にも抵触する重大な問題です。

例えば日本では、離婚してから300日以内に生まれた子どもを前夫の子供と認知し、女性に離婚後100日の再婚禁止期間を設ける法律があります。このため、前夫のDVから逃れて身を隠している女性や事情があって前夫と連絡がとれない女性は出産した子の出生届を出せない場合があります。その結果、子どもが健診や予防接種を受けられなかったり、就学や就職に支障が出たりすることが指摘されてきました。それにもかかわらず日本の婚姻制度は、「嫡出」に関わる再生産の管理を優先してきたのです。それが、基本的人権──自分の望む相手と結婚をする女性の権利や、適切な医学的サポートを受けたり就学したりする子どもの権利──を危うくするものであったとしても。

婚姻の有無が「権利」の分断を生まない社会に。

Photo: GYRO PHOTOGRAPHY/アフロ

フェミニズムは性差別的な効果をもつ、女性にとって問題の大きい制度として、婚姻を批判してきました。けれどもそれは個々の女性の婚姻に関する選択をジャッジすることとは違う、と私は考えています。

フェミニストたちの間で過去に「結婚しているフェミニストはフェミニストか」というような議論が繰り返されてきたのは事実です。けれども、婚姻制度自体の根本的問題への批判が、制度運用上の差別の放置を必ずしも意味しないように、問題のある制度それ自体への批判は、さまざまな理由によるさまざまなかたちでの個々人の制度利用への糾弾に繋がるものでは必ずしもありません。

婚姻というのはある意味とても利便性が高い制度です。この制度を利用することで、税制や社会保障、子どもの親権から互いの死後の相続まで、非常に広範な手続きがカバーされます。反面、制度から少しでも外れていると社会生活を送る上でさまざまな不便が生じます。婚姻を通じてしか得られない(あるいは婚姻を通じなければ手に入れるのが困難であるような)何らかの保障を求めてこの制度を利用することは、とりわけ社会的・経済的な安定を得にくい状況にある女性たちにとっては、理にかなった選択でもあります。

それでも、制度として考えた時には、国家が決めた法律に則った婚姻を通じてしか社会保障や経済的な安定を手にできない(あるいは婚姻を通じなければそれを手にするのが非常に困難である)としたら、そもそもその制度に問題があると言わざるを得ません。上で見てきたように、とりわけ女性たちにとって婚姻はしばしばその利用に際してのリスクの高い制度でもあります。セイフティー・ネットはそのようなリスクと引き換えであってはならないはずです。婚姻はセイフティー・ネットであってはいけないのです。

逆説的ではありますが、婚姻がセイフティー・ネットの機能をまったく持たなくなり、婚姻が特定の人間関係だけに特権的に便宜を図る制度ではなくなったとき、つまり、人々が生活の不安や社会的な偏見などを一切気にすることなく互いに合意のある人々と婚姻関係に入ったりそこから出たりできるようになったときこそ、婚姻は家父長制のトラップとしての働きをやめて、より自由な何かに形を変えていけるのかもしれません。

それはすなわち、婚姻と「いつまでも幸せに暮らしました」という物語が切り離され、「個人としてちゃんとハッピーに生きていける」「結婚してもしなくても親密でハッピーな関係を築くことができる」社会でもあるだろうと思います。

Text: Akiko Shimizu, Motoko Jitsukawa  Editor: Yaka Matsumoto


清水晶子AKIKO SHIMIZU

東京大学大学院人文科学研究科英語英米文学博士課程修了。ウェールズ大学カーディフ校批評文化理論センターで博士号を取得し、現在東京大学総合文化研究科教授。専門はフェミニズム/クィア理論。著書に『読むのことのクィア— 続・愛の技法』(共著・中央大学出版部)、『Lying Bodies: Survival and Subversion in the Field of Vision』(Peter Lang)など。