プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(本名猪木寛至=享年79)が1日に心不全のため死去し、日本中が悲しみに包まれている。数々の伝説を残した〝燃える闘魂〟の「秘話」を振り返る第3回は、全日本プロレスを担当した記者が永遠のライバル、故ジャイアント馬場さんとの〝本当の関係〟に迫る。

【さらば燃える闘魂3】

 格闘技・プロレスを担当して33年になるが、入社してすぐ故ジャイアント馬場さんの全日本プロレス担当となったため、取材させていただいた回数は数えるほどしかない。

 最後にお会いしたのが2020年2月8日の天龍源一郎とのトークショー。開催前に時間を割いていただき、大昔の力士について質問した。すると即座にこちらの認識ミスをピシャッと正した上で質問に答えてくれた。全盛期の元気はなかったが、その気迫で一瞬にして背筋を正された。

 猪木さんにとって馬場さんとはどんな存在だったのか。そんな話を全日本の和田京平名誉レフェリーと話したことがある。1998年に都内のホテルで偶然に遭遇した際は、猪木さんが小走りで近づいて馬場さんにあいさつしたという。意外だった。

「公では仲は悪いことになってたし、馬場さんも相当、猪木さんに悪口を言われていたでしょ。だからあまりに和気あいあいで驚いた。馬場さんも笑顔で『オウ』と答えてた。その後『どれくらいの年齢差がありましたっけ』と聞くと、一瞬考えて『小橋(建太)と志賀(賢太郎)くらいかなあ』とうれしそうに答えていた。やっぱり5歳違ったから弟という感覚じゃなかったのかな」

 和田氏は「日本プロレスの先輩と後輩。我々には分からない兄弟のような信頼関係があったと思う。高校で1年違う三沢(光晴さん=故人)と川田(利明)がそうじゃない。表では悪口言い合ってるけど、心の底ではガッチリした絆がある。それと似た関係だったと思う」と続けた。

 まさか将来、全日本担当になるとは夢にも思わなかったが、実は幼少期から学生時代まで〝猪木信者〟で、S・小林戦や大木金太郎戦はテレビの前で大声を上げていた。生の声を多く聞けなかったことが心から無念でならない。合掌。(元全日本プロレス担当・平塚雅人)