伝説のプロレス実況アナが〝燃える闘魂〟を追悼――。プロレス界のスーパースター、アントニオ猪木さん(享年79)の死去から一夜明けた2日、都内の自宅には午前中から選手、OB、関係者らが弔問に訪れた。元テレビ朝日アナウンサーで舟橋慶一氏(84)もその一人で、弔問後に取材に応じ、猪木さんとの思い出を振り返った。

 舟橋氏は新日本草創期に、名実況で新日マットを盛り上げた。中でも伝説の猪木―モハメド・アリ戦(1976年6月26日)を実況したことで知られている。

 猪木氏の自宅には2週間前に見舞いに来たと言い「いろんな日本プロレス時代の話とか、猪木さんは日本プロレスから不遇だったとか、そういう話を振って、エピソードで猪木さんに笑ってもらおうと思って」と、昔話で猪木さんを元気づけたという。

 訪問前に電話をもらった際には「元気ですかー! 明日は待ってますよ、食い物はないけどね~」と電話越しに得意のジョークを飛ばしてきたそうで「今日はその続きを話しに来ました」。

 舟橋氏はテレビ朝日が日本プロレスを放送していた当時の猪木さんををこう振り返る。「やはり日本プロレスから新日本プロレスになって、精神的にかなり苦しい時代があった。練習は人一倍だったし、僕が取材に行った時は5、6時間もやっていた。とにかく自分が強くならなくては、トップに立つんだという意識が強かった。(ジャイアント)馬場さんのほうはあんまり練習しなかったけど(笑い)。そういう中で、いつかこの人はトップに立つんだと思って追っかけていた」

 テレビ朝日が1969年に日本プロレスの放送をスタートさせた際には「中継の方法がわからなくて、汽車のライトみたいなのをリングの四方から当てたら、選手が『まぶしくて試合できない』と(笑い)」と明かす。
 
 猪木さんの見舞いをした時にも舟橋氏が「あのころは何にもわからない中で放送やってて、いろいろ迷惑かけたよね」と話しかけたところ「猪木さんは『まぶしかったよね~』って(笑い)」。

 伝説の名実況は、プロレス界を支えた〝戦友〟にしかわからないエピソードで、ジョーク好きな猪木さんを明るく見送ったようだ。