時代劇や任侠もので大活躍した“映画スター”松方弘樹さん(本名・目黒浩樹)が、21日に脳リンパ腫のため都内の病院で死去していたことが23日、分かった。74歳だった。松方さんは昨年2月、頭痛や体のしびれを訴え、都内の大学病院に緊急入院。検査の結果、「脳リンパ腫」と診断され、闘病生活を続けていた。映画スターとして近寄りがたいイメージだった松方さんを女子高生から「カワイ~」とまで言わせたのは、ビートたけし本紙客員編集長(70)の「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」(1985~96年、日本テレビ系)だ。松方さんがたけしに明かした豪快すぎる「松方伝説」を特別追悼公開する。

「柳生一族の陰謀」「仁義なき戦い」などの映画でこわもて二枚目スターのオーラを放っていた松方さんを、まったく畑違いのバラエティー番組「元気が出るテレビ!!」に引っ張り出したのが、たけしだった。

 85年の開始当時から長らくレギュラー出演した同番組で、たけしのギャグにズッコケたり、声を裏返らせたりと“おちゃめ”な面も発露。「たけちゃん!」などと言って笑いながらハンカチで顔の汗を拭くシーンが番組の名物となり、若い女性から「カワイ~」と人気になった。

 ちょうどそのころ、松方さんとたけしは頻繁に飲み歩いていた時期があったという。昔話としてたけしが聞かされた仰天の“修羅場エピソード”は次のような話だった。

「松方さんがオンナの家行ってたら、夜中に男が来ちゃってオンナが真っ青に。『早くタンスの中に隠れて!』って。松方さんが『お前、男がいるんじゃないか!!』って言ったら、『たまに来るのよ』って。しょうがなくて隠れたら、男が『テメェ~、中に誰かいるんじゃね~か?』って寝室のドアを蹴っ飛ばして入ってきた。で、『こっちだって松方弘樹だ。しょぼい男だったらぶん殴ってやる!』って思って、洋服ダンスの隙間からソーッと見たら、力道山だったって」

 力道山は63年に亡くなっている。松方さんが20歳前後の若かった時代のこと。このエピソードをたけしに明かした時、松方さんは「本当に怖かったんだよ」としみじみ語っていたという。

 京都の一流ステーキハウスでの超豪快エピソードは、その支払いっぷりだ。

「高級ステーキったっていくら食べても100万円もいかない。でも、ほんの数時間で高級ワインをバンバン頼んで、会計が2000万円。それを1人で払っちゃうんだからね」

 200万円ではなく2000万円だ。当時、クレジットカードはそれほど流通しておらず、支払いには現金が必要だった。そんな時代の松方さんといえば、“立つ財布”で有名だったという。いったいどれだけ分厚い札束を持っていたのか。

☆まつかた・ひろき=本名・目黒浩樹(めぐろ・こうじゅ)。1942年7月23日生まれ。東京都出身。父・近衛十四郎、母・水川八重子がともに役者の家庭で育つ。明大中野高3年の60年、父が所属する東映に入社し「十七歳の逆襲・暴力をぶっ潰せ」で映画デビュー。翌年の「赤穂浪士」や「瞼の母」(62年)などの時代劇で二枚目スターに。69年に大映に移籍し、71年に東映復帰。深作欣二監督「仁義なき戦い」(73年)では、あくの強い暴力団幹部を熱演。「県警対組織暴力」などで強烈な個性を発揮した。代表作に「柳生一族の陰謀」(78年)、「修羅の群れ」(84年)など。91年の「江戸城大乱」などで日本アカデミー賞優秀主演男優賞を受賞した。テレビでは74年のNHK大河ドラマ「勝海舟」に主演。「人形佐七捕物帳」「名奉行遠山の金さん」などで主演を務めたほか、バラエティー「天才・たけしの元気が出るテレビ!!」でも親しまれた。2004年の「想い出ワルツ」など歌曲のCD、レコードも出している。弟の目黒祐樹も俳優。俳優の仁科亜季子は元妻。