【プロレス・トリビア(1)】プロレスは奥が深い。答えを求めようとすればするほど、深い森に迷い込んでしまうのも、またプロレスの妙である。あの選手にはこんな昔話があり、この選手にはあんな裏話があった。――特ダネでもないが、しかし妙に心をくすぐる「プロレス・トリビア」集をお届けします。

 新日本プロレスとDDTのダブル所属選手として業界のスターダムを駆け上がる飯伏幸太(32)だが、実はデビュー前に“所属”していた幻の団体があったことはあまり知られていない。

 それは飯伏が上京間もない18歳のころ。成田空港で勤務していたプロレス好き青年は、千葉のアマチュア団体「SSS(スリーエス=当時の名称で現在は活動停止)」の存在を知り妙に心をひかれた。すると何を思ったのか、同団体のホームページ宛てに「挑戦状」を約20回にわたり送る異様な行動を開始。「勝負しましょう。自分はドラゴンスープレックスで勝てると思います」と言い張って聞かない奇人・飯伏は、ついに団体関係者を根負けさせ、成田のファミリーレストランで話し合いの場を持つことに成功。なぜか話すうちに意気投合し、同団体に所属することまで決定した。

 それから1か月後、飯伏は同団体の群馬大会に同行する予定だったのだが…。「集合が朝8時とかで、起きたには起きたんですけど面倒くさくなってしまって」と、あろうことかいきなり造反。そのまま携帯電話番号を変えて逃げ出した。若かりし日の話とはいえ、あまりにいい加減すぎる。

 そんな飯伏も今や業界のスター選手。もしもSSSという団体が多少のダメ人間ぶりに目をつぶり、根気強く育てていれば、現在のプロレス界の勢力図は変わっていたかもしれない…。