安倍元首相の国葬の日、テレビは「追悼一色」になる?…55年前は「悲愴」が流れ、CM休止の局も

2022年9月8日 12時00分

東京都内を行く葬列。道路脇で多くの都民が見送る=1967年10月31日、東京・渋谷近くで

◆55年前の国葬、各局が朝から特集

 吉田氏の国葬時はどうだったのか。1967年10月31日正午ごろ、神奈川県大磯町の吉田邸を遺骨を乗せた車が出発。午後2時から東京・日本武道館で営まれた。
 当日のテレビ番組表を見ると、午前7時にはフジテレビが吉田邸から生中継。TBSやNET(現テレビ朝日)も、午前から吉田氏の特集や国葬準備を放送する力の入れようだった。
 内閣官房が翌年に発行した「故吉田茂国葬儀記録」には、報道各社は「全面的に報道することをいち早く決定」し、吉田邸はTBS、大磯から日本武道館の沿道は東京12チャンネル(現テレビ東京)などと代表撮影制にして「自主的に分担をきめて秩序ある報道を行った」とある。

◆「英雄」に「悲愴」、CM取りやめも

 午後2時にはNHKと民放5局がすべて特別番組となり、国葬の模様を生中継した。午後9時以降も「吉田さんの想い出」(フジ)、「さよなら吉田さん」(東京12チャンネル)などの特番が編成された。1日を通して各局がベートーベン「英雄」、チャイコフスキー「悲愴ひそう」などのクラシック音楽を使用。ゴールデンタイムの午後7時にフジは日本フィルハーモニーの演奏、NETはウィーン少年合唱団の歌を流した。
 特番が最も長かったのはフジで735分(うち音楽の特番が180分)。TBSの458分(同173分)、NETの375分(同45分)と続き、NHKは320分(同70分)だった(いずれも砂川さんが番組表を元に算出)。

国葬一色となった1967年10月31日のテレビ番組表。主な追悼関連番組を赤枠で囲った

 当時の本紙を読み返すと、NETが “お色気” が人気だったドラマ「おせん捕物帳」を放送するなどしたものの、フジは「吉田氏の功績からみて当然」(幹部)として報道番組以外の全番組を特番に変更。「国葬の雰囲気の中に、のん気なコマーシャルはまずい」と、数千万円の赤字覚悟でCMを全て取りやめたという。

◆「賛美繰り返した」と批判 政府の要請あった?

 一方、日本民間放送労働組合連合会(民放労連)は当時の機関紙で、各局の放送ぶりを「早朝から夜中まで吉田元首相の賛美を繰り返した」と表現。追悼の名を借りた「放送の1日支配」だと批判した。

デパートのウインドーに据えられた吉田氏の遺影の前で黙とうする人たち=1967年10月31日、東京・池袋で

 放送局に対して直接的な要請があったかについて、佐藤栄作首相は国会で「言論機関は政府の意志でとやかくできるようなものではない。期せずしてああいう状態(国葬一色)になった」と答弁。ただ、民放労連の機関紙には、TBS幹部が団交の席上で「政府の申し入れを受けた」と発言したとの記録も残る。
 「編成を見る限り局内で強い異論が出た感じはない」と砂川さん。戦後政治を引っ張った政治家として、吉田氏の国葬への世論の反発が少なかったほか、翌11月に放送の免許更新を控えており「政治にものを言いづらい時期」だった影響も考えられるとみる。
 今回の国葬の放送を局のトップはどう考えているのか。NHKの前田晃伸会長は1日の定例記者会見で「報道機関として事実を正しく報道することに尽きる。具体的にはこれから検討する」と述べるにとどめた。

◆「1日中『孤独のグルメ』流したっていい」

 テレビ番組に詳しいコラムニストの桧山珠美さんは、安倍氏が銃撃された夜、特番が展開される中、テレ東がアニメなど通常番組を放送していたことを念頭に語る。「国葬当日、テレ東が人気ドラマ『孤独のグルメ』を1日中流していたっていい」
 桧山さんは「コロナ禍でみんな行事に飢えていて、国葬も放送されたら意外と見るのでは」と予想。だからこそ、各局の姿勢が問われるとしてこう呼び掛ける。
 「テレビが国葬一色になるのは戦時中の大本営発表を思わせる。気概を見せて独自の番組を作ってほしい」

◆デスクメモ

 吉田氏の国葬当日のテレビ欄を見ると「明治のこころと現代」という関連番組がある。自由民権運動、軍の暴走と敗戦、復興という日本の近代史を吉田氏に重ね、悼む人も多くいたと想像される。安倍氏は憲政史上最長の期間、首相を務めた。だが、人々はそこに何を重ねるだろうか。(北)
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