×

猪木さん 生涯4度結婚 恋多き男の“寂しがり屋”な素顔

[ 2022年10月5日 04:00 ]

闘魂百景(下)プライベート編

中国ハルビンの屋台で朝食を食べる猪木さん 
Photo By 提供写真

 アントニオ猪木さんを半世紀にわたり撮影してきたスポニチOBでフリーカメラマンの原悦生氏(66)が撮りためた写真から、厳選した“闘魂ショット”を本紙に掲載する追悼企画「闘魂百景」。最終回となる第3回はプライベートで見せた姿を中心に、猪木さんを振り返る。

 マットの上で大観衆を虜(とりこ)にした猪木さんは、米国修業時代に婚姻届を提出せずに1女をもうけた米国人女性を含めると、生涯で計4回結婚した。中でも注目を集めたのが女優・倍賞美津子(75)との結婚だ。1971年に東京・新宿の京王プラザホテルでの挙式には著名人ら約1500人が出席し、総費用は1億円に上った。

 猪木さんは倍賞を海外の試合に帯同するなど仲むつまじかった。76年、ニューヨークでのムハマド・アリとの異種格闘技戦の調印式では、倍賞が猪木さんの羽織はかまの着付けをした。84年にブラジルのフィゲイレド大統領と東京・六本木のレストランで会食する際にも、倍賞を伴っていった。

 しかし、87年に離婚。原さんは「(猪木さんは)1人でいるのが嫌な人でした。倍賞さんとは離婚した後も仲のいい友達のような関係でした」と話す。その言葉を裏付けるように、02年の新日本プロレス30周年記念興行セレモニーに倍賞がサプライズで登場し、猪木さんに花束を贈呈。「1、2、3、ダァーッ!」と息の合ったかけ声で会場を沸かせた。

 89年に結婚した女性とは長男をもうけたが、離婚。そして17年の74歳の誕生日に、専属カメラマンだった田鶴子さんと結婚。田鶴子さんが19年に死去した時には「献身的に尽くしてくれました。感謝の言葉しかありません」としのんだ。大きな愛情を周囲に届け続ける人生でもあった。=終わり=

 ≪79年8月26日 最後のBI砲≫猪木さんは79年8月26日の「夢のオールスター戦」(日本武道館)で、ジャイアント馬場さんと最後のタッグを組んだ。アブドーラ・ザ・ブッチャー&タイガー・ジェット・シン組と対戦し、時間切れ寸前に猪木さんがシンからフォールを奪って勝利した。

 ◇原 悦生(はら・えっせい)1955年(昭30)12月9日生まれ、茨城県出身の66歳。高校1年の時から猪木さんを追って写真を撮り続け、早大卒業後、80年にスポニチに入社。86年に退社しフリーに。今年3月、写真本「猪木」を出版した。

続きを表示

この記事のフォト

2022年10月5日のニュース